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【藤波 辰爾】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:TATSUMI FUJINAMI - DRADITION

今回は有名な「藤波 辰爾」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「藤波 辰爾」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

藤波 辰爾とは

藤波 辰爾(ふじなみ たつみ、1953年12月28日 - )は、日本の男性プロレスラー。カートプロモーション所属。本名・旧リングネーム:藤波 辰巳(読み同じ)。大分県東国東郡武蔵町(のちの国東市)出身。ニックネームは「ドラゴン」。

第77代NWA世界ヘビー級王者。日本人2人目のWWE殿堂入りレスラー。海外武者修行時のリングネームは、アメリカではドクター・フジナミ、メキシコではドクトル・フヒナミおよびリング・フヒナミとしていた。

ブルース・リーを彷彿させる絞られた筋骨隆々な肉体・スピーディーで華々しいファイトスタイルや、自らのキャッチフレーズであるドラゴンの名を冠した多くのオリジナル技(通称ドラゴン殺法)は、後世のプロレスラー、特に現在まで続くジュニアヘビー級のファイトスタイルに多大な影響を及ぼした。また、猪木の卍固めや長州のサソリ固めなど、いわゆる「掟破り」を使用し試合を演出した。
参考:Wikipedia

藤波 辰爾の名言集

“死にたい”とは思ったけど、プロレスをやめる選択肢はなかった

やっぱり勝負の世界に生きてきた方ですからね。昔の仲間が連絡をすると、気持ちも張ってくると願っていました

徹底的に差をつけて勝たない限りベルトを腰に巻く気は無い

最後に、相談なんですけど、僕のテーマ曲、なんとかなりませんかね。猪木さんの「ボンバイエ」に負けてますから。今の曲、アイドル歌手みたいで。ジュニアの頃は軽い感じでちょうどよかったんですが

我々は殺し合いをしてるんじゃないんです!

もう、なりっきっちゃうんです。相手をぶっ殺してやるって。試合とかでぶつかると、本当、恐ろしいですよ

彼が納得いかないと言う前に、甘い!!、詰めが。自分の蹴り、あまりそういうものに頼りすぎる。相手が本当に死んでしまえば、その蹴りも生きてくるだろうけれども、相手がちょっとでも息がある限りは、最後のトドメを刺さないと、俺はもう立てないんだから。でも死んではいない。甘い!!

僕はいままでいろんな選手に敵対視されてターゲットにされてきたんだけど、僕は反対に誰も意識したことないんですよ。

プロレスは対戦相手との信頼関係があるから、やれるんです。

真の意味で自分の力、可能性を見つめ直したい

ニューヨークという土地に入ったんだけど、選手権試合が控えているから、試合へいろんな思いがあってね。とにかくこの試合が自分がこれまでやってきたことの集大成で、負けたらもちろん、下手なことをしたら二度と日本には帰れないと考えた。そうすると、前日もなかなか寝付けなかった

リングに上がろうが上がるまいが“レスラーである自分”が自分だから

(長期間の入院から無事に退院したアントニオ猪木氏に対して)今度は自分が元気な姿を猪木さんに見せたい

50周年というのは猪木さんの耳にも入っていますし、僕の50年のプロレス人生で欠かせない方。負担にならないように、50周年のどこかで登場してもらえればありがたい

(50周年を迎え、ツアーを開催するにあたって)猪木さんにぜひ来てもらって『1、2、3ダー』を言ってもらいたい。サプライズが好きな人だから、みんなを驚かせて欲しい

どうもありがとう。こういうセレモニーをぜんぜん期待してなかったので、今日はシューズを履いてきてません

予告なしで来てくれたので、本当にうれしかったですね。『今の俺があるのは、藤波のおかげだ』と言ってくれたんですが、逆に僕は彼との試合があったから、ファンの記憶に残る戦いができたと思っています。彼には感謝していますよ

ジャンボ鶴田選手と1回戦ってみたかった

何やってもいいっていうんなら、プロレスが一番でしょうね。マワシ締めれば、お相撲さんにはかないませんよ

(長州との試合をぶち壊され)こんな会社辞めてやる

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