政治家としての経歴がマイナスになるのは俺ぐらいだろう
落語とは人間の業を肯定するもの
学問の量にしがみつくな
世の中で天才というのは手塚治虫とダヴィンチだ
怒りは相手の寛容さに対する誤認
『笑点』ってのはよう、アタシが作った傑作なんだよ
一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。
酒は人間をダメにするものではないのです。人間は駄目なものだというのを確認させるために、酒は存在しております。
(1960年代半ばにテレビ・ラジオの電波メディアの普及で寄席に閑古鳥が鳴いている状況に危機感を抱き、)これからは、落語家はテレビにもどんどん出て行かなきゃ駄目だ。
(70歳を迎えたパーティーで)古希、そうか、古希ってことか。イヤだなと思いますね。あと、まぁ残光というか余韻というか、これをまぁ、生き様として見せるよりもう手がないような気がしますね
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。
「努力とは何?」「バカに与えた夢!」
(机の上に置かれている泥棒への手紙)泥棒さん江。この家は資料室という演芸等の資料だけです。金品はありません。疑うなら探すのはいいですが、荒らさないでください。ささやかですが、ご苦労賃です。 泥棒代 3万円。
何の職業でもいいのだけれど、そうなれる資格、レベルに自分をもっていく道筋がどうもあやふや。好きなことをやり、それで食えるようになりたい、だからそこに向かって賢明になるはずが、現代はアルバイトで食えてしまう。それは楽なごまかしになっていくのではないだろうか。
尊敬されて、仕事があって、発想も状況を把握できる頭脳もまだある。それを幸せと言わずして何というか。
上から読んでも下から読んでも、『談志が死んだ!』と書いてくれ
寄席でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ
評価ってのは相手が決めるもんだからね。いくら俺がうまい落語やっても“おしゃべり“っていわれたらそれまでだもん
天狗になるくらいでなきゃあ駄目じゃないかと思ったね。青臭いかもしれないけど、天狗になってるときの芸は威勢がいいんですよ。
型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか?難しすぎるか。結論を云えば型をつくるには稽古しかないんだ。