引用元:映画.com
今回は有名な「大林 宜彦」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「大林 宜彦」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
大林 宜彦とは
大林 宜彦(おおばやし のぶひこ、1938年(昭和13年)1月9日 - 2020年(令和2年)4月10日)は、日本の映画監督。従四位、旭日中綬章。倉敷芸術科学大学客員教授、長岡造形大学造形学部客員教授、尚美学園大学名誉教授、文化功労者。
広島県尾道市東土堂町生まれ。尾道市立土堂小学校、尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。2014年(平成26年)4月から長岡造形大学客員教授。
妻は映画プロデューサーの大林恭子。長女の千茱萸は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加しており、その夫は漫画家の森泉岳士。劇作家・演出家の平田オリザは甥にあたる。
自主制作映画の先駆者として、CMディレクターとして、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた”映像の魔術師”。
大林 宜彦の名言集
政治家も経済家も、芸術家のように生きてほしい。それこそが、痛みを知っている配線国民の生き方だろうと思う。
文化とは、言ってみれば「故郷自慢」であり、「スローライフ」であり、さらに言えば「温故知新」である。
心とは物語のようなものです。つまり、喜怒哀楽も、喜・怒・哀・楽がそれぞれ一つひとつの独立したものだと情報ですが、これが循環し出すと物語になります。
未来に向って飛び出す勇気と知恵が何処から来るかというと、未来と同じくらい長く、深い過去の歴史から学ぶことで湧き出てくるものです。
命が命を食べ合って生きているが、人間だから自然界だから。
表現者というのは、チャーミングな常識人であるべきだと僕は思っています。
芸術はジャーナリズムだと僕は思ってるんですね。優れたジャーナリズム。平和に向かうジャーナリズムだと思うんです。
今の時代の危険は、全てが他人事になってしまったこと。
戦争という犯罪に立ち向かうには、戦争という凶器に立ち向かうには、正義なんかでは追いつきません。人間の正気です。正しい気持ち。人間が本来自由に平和で健やかで、愛するものとともに自分の人生を歩みたいということがちゃんと守れることが正気の世界です。
モノを作るということは、手本を作ることだと思う。
1990年代を”失われた10年”と言うようですが、僕に言わせるとまさに”豊かなる10年”です。
みんな考え方が違い、自分と考えが違う人をいかに愛するかが芸術の本質。
映画は機械文明が生んだ芸術ですから、表現とは発明。
みんなで芝生に裸で寝そべって青い空見つめてそれで幸せだったら、何も暗闇に入って映画なぞ見るものはいない。
僕は芸術家だから芸術の話をしますと、芸術というものはやはり役割があってね、政治や経済でできないことができる。
映画というのはね、ハッピーエンドなんですよね。これは、僕は映画が生んだ素晴らしいフィロソフィーだと思う。
競争社会の中にある限りは、突き詰めると戦争になっちゃう。
良い映画というのは正直に一生懸命自分が信じることを描くだけ。
神様は命というものを試すために僕たちを生存させているんだと。
(ガンと共に生きていくというお話の中で)「おい、がん公よ」ってね、話しかけるんですよ。だんだんこいつ(ガン細胞)の声が聞こえてくるんです。僕の同居人ですからね、僕が宿主で。