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【樹木 希林】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:NHK人物録

今回は有名な「樹木 希林」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「樹木 希林」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

樹木 希林とは

樹木 希林(きき きりん、1943年1月15日 - 2018年9月15日)は、日本の女優。戸籍名、内田 啓子、旧姓:中谷。また、旧芸名は悠木 千帆(ゆうき ちほ、初代)。東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。
2番目の夫は内田裕也。間に娘・内田也哉子がいる。夫とは長く別居を続けていた。
父は薩摩琵琶奏者・錦心流の中谷襄水(辰治)(1917~89)。妹も薩摩琵琶奏者の荒井姿水(昌子)。その息子も薩摩琵琶奏者の荒井靖水。

参考:Wikipedia

樹木 希林の名言集

必要のない人なんて、いないんだから。

嫌な話になったとしても、顔だけは笑うようにしているのよ。井戸のポンプでも、動かしていれば、そのうち水が出てくるでしょう。同じように、面白くなくても、にっこり笑っていると、だんだん嬉しい感情が湧いてくる。

「自由」っていうと格好が良すぎるけど、「責任がない、勝手」ていう感じかな。この作品の責任を取ろうと思うととても大変なんだけど、責任を取ろうと思わないから、すごく勝手なの。それが結果的に自由に見えるのかも。「予定調和にならない」というところは、私の生きてきた環境、出会いがそうしたのかな。

役者ならば、自分に対して常に挑戦。

今は仕事のブッキングも全部、自分でやっています。そうじゃないと、人の人生までブッキングしちゃうからさ。がんを持病として持っているし。そういう身体であるということがすごく歯止めになっている。

私が今日まで生きてきて、自分で一番得したなと思うのはね、言葉で言うと、不器量と言うか、不細工だったことなんですよ。

私の場合には、年を取ることに対して、一切ストップをかける気持ちがないんです。だから私は『老いる』ということに対して、恐怖もなければ、嫌だなという罪悪感もない。

健康な人も一度自分が、向こう側へ行くということを想像してみるといいと思うんですね。そうすると、つまんない欲だとか、金銭欲だとか、名誉欲だとか、いろんな欲がありますよね。そうしたものからね、離れていくんです。

みんなね離婚してね、次にいい人と出会ってるつもりでいるけど、似たようなもんなのね。ただ辛抱が効くようになっただけで。

結婚なんてね、若い時にしとかなきゃダメなの。物事の分別がついたら、あんなことできないんだから。

歳をとると人間が成熟するとは大間違い、不自由になった分だけ文句が出るの。

布団の上で死ねるなんていうのは上出来なことなのよ。ガンは布団の上で死ねる病気なの。私、家で死にたいからさ。

どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はない。

まあ、縁ですから。自分に合った人と出会うわけですから。それに、親がへたばって喜ぶ子供はいないでしょ。よく娘は「お母さんは他人だからいい、私は血が繋がってる」って。今回も「お母さんがいてくれてよかった」と言ってくれました。

あのね、年をとるっていうのは本当に面白いもの。年をとるっていうのは絶対に面白い現象がいっぱいあるのよ。だから、若い時には当たり前にできていたものが、できなくなること、一つずつを面白がってほしいのよ。

私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。

私は人間でも一回、ダメになった人が好きなんですね。

喧嘩っ早いからね、すぐ喧嘩しちゃうのよ、私ね、若い頃ね。

ちゃんと生きるていう事は、何でもない事をやるしかない。

(内田裕也さんとの結婚について)すごくいいヤツでね、あの夫じゃなかったらば、こんな面白い人生はなかったと思います。

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