伯父はリハビリで廊下を歩く時は私の肩を借りるくせに、ナースセンターの前だと急に背筋をシャキンとして歩き出すんです(笑)。その姿を見て、伯母と一緒に『なにいいカッコしてんの?』と笑いましたね
でも、仕事への復帰を焦ってはいません。朗読の次はこれ、次はこれ、その次は……というふうに、うまくはいかないわよ。ゆっくりでいい。
大変だろうな、と思っても、口にすることにはためらいがあります。大変さを乗り越えるためには、その人が精一杯やるしかありません。
看病の時は、『日常でいよう、日常でいよう』と努力しました。最後まで、『緊急事態だ』という雰囲気を、相手にも絶対感じさせないように接していました。
遠回りというのも悪くないの。ゆっくりゆっくり。なかなかできなくてもいいの。寄り道かなと思っても必ず勉強になってるの
塩見はね、要所要所でそばにいてくれる感じなの。たとえばお買い物に行って、とってもほしいものが目についちゃった、でも、ものすごく高い! どうしようかしら。そんなとき、天から「買えよ」という声が聞こえてくるのよ。で、「これ、いただくわ」。うふふ、最高でしょ。
悩んでも憂鬱になるだけ、だからいつも笑っているの
そうするとね、かなわぬ分だけ思いが膨らむんです。喜びも悲しみも、悔しさも夢もみんな深さが出る。
その日食べられて、大事な友達が数人いて、目の前の仕事をやるだけで満足
医者が『最後に言いたいことは?』とちょっとでも口にしたら、その言葉が心外なんです。『聞く必要ない!』って医者に抗議しました。『これでもうお別れだ』と絶対に気づかせないように、日常でいること、取り乱さないこと。それも演技だわ
私たちの頃はそんな人が多かったかも。今の人って、キチッといろいろな利害を考えて、計画的に道を見つけるようなところがあるでしょ。でも、あの頃は、みんな、何か匂えばそこに行くって感じでね。でもやり出したらよそ見をしない、のめり込んであきることがない。体をこわす限界も分からないのね。(中略)そうやって歩いてきて、振り返れば役者の道がついてたって感じね
塩見が疲れたら『休んだらいいわ』と言い、食べられなかったら『これなら食べられるでしょ?』と言ってあげる。その言い方も、みんながビックリするほど穏やかに、普通にしていました
私はとっても幸せだと思うんです。こうしてみんながそばにいて、笑ってくれる。わざわざうちまで番組の収録にも来てもらえて、声だけですけれど、たくさんの人に届けることができる。
ある程度、気が収まる状態に自分を持っていき、その時を納得して過ごせればそれでいいんじゃないかなあ。
弱音を吐いてはいけません。女優は娑婆の女じゃないのよ。そんなふうに音を上げるなら、女優なんてやめておしまいなさい。
でも、さすがに75を過ぎたあたりから、それまでのように力まかせに突っ走るみたいな生き方は難しくなった。当たり前よね。
歳も歳だから、「老い」は自分でも身に染みていますよ。
悲壮になるなら、やめたっほうがいいと思う。
好きだったら、いつも真ん中くらいの順位でも、ひたすら走っていける。
自分がこれから歩もうとする道がある一方、突如現れて抗いようもなく進む道もある。その二つの折り合いをどうつけるかでしょうね。