引用元:NEWSポストセブン
今回は有名な「市原悦子」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「市原悦子」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
市原悦子とは
市原 悦子(いちはら えつこ、1936年1月24日 - 2019年1月12日、本名:塩見 悦子)は、日本の女優。 千葉県千葉市出身。身長160cm、夫は舞台演出家の塩見哲。
1957年に劇団俳優座に入団し、『りこうなお嫁さん』でデビューする。同年に雑誌『新劇』の新人推賞を受賞し、1959年に『千鳥』で芸術祭奨励賞を受ける。さらに1963年には新劇演劇賞、1964年にゴールデン・アロー賞新人賞に輝き、新劇女優として高い評価を受ける。
市原悦子の名言集
常田さんの声を聴けば私がよくなり、それを聴いて常田さんもよくなる。いい関係でした。
よくテレビや雑誌のインタビューで、先輩がたが、年齢を重ねていくことや大切な人を失うことについて、お話しになりますよね。私、ああいう言葉って出てこないの。アドバイスできることなんてありません。
まさに昔ばなしに出てくるような人でした。あちらでお会いしたら、また一緒に昔ばなしをやりましょうね
生きるとか死ぬとか、ずいぶん考えさせられたけど、考えてもらちがあかない。でも、なんかいいように死ねるような気がするんです。死ぬときは、きっといい景色が浮かぶだろうって
でも、まあ、病気になっちゃったものはしかたがありません。それに、時間はかかっているけれども、少しずつよくなってきているのは確か。だから、そのことを喜ばなくちゃ。
うっとりするほど奇麗じゃない私が、女優の道を歩み始めたんだということを、やっぱり考えましたね。この身ひとつを人前にさらす仕事なんですから、やはり、稽古を多く積んで、自分ならではの世界を創らねばね。
それで、ようやくわかってきたのは、人生は自分だけで切り拓けるものではない、ということ。
毎日の暮らしで心がけているのは、身軽になることです。
幸せって、あまり考えたことがないの。苦労するのが人生。雑用しなきゃいけないのも人生。努力するのは当たり前
モノを減らして、お部屋も小さくして、髪も短くして、リヤカーひとつで引っ越しができるような暮らしが理想です。
落ちていく時の花もある
お芝居をやっている時は寝られなくなる。夢遊病的というか自分の正体がなくなるくらい何かを探し始めるから。
「死」ということには、大きな山を一つ越えてあっちの世界へ行くイメージを持っているけれど、それがどういうふうに襲ってきてどんなふうに山を越えるのかは、これもその人その人ですからね。どんなにポックリ逝きたくても、そうはいかない。
女が幸せじゃなきゃ、男も幸せにならないのよ
これから帰るからね。ケーキを買っていこうか
お客さんに媚を売っちゃいけませんよ。迎合しちゃいけませんよ。
天からもらった丈夫さもあったのでしょうけれど、実際、したいことをしたいように進めてきました。
塩見が『疲れた』って言うから、私は『少し眠れば? 楽になるよ』とやさしく言ったの。彼も『そうだな』って。最後までものすごく冷静に接しました。だから、どうだったかな、死ぬと思ったかな、思わなかったかな。
こんなわかりにくい話、夜中に聞かされたら、かえって眠れなくなっちゃうわ
病気になったことは、まさに青天の霹靂(へきれき)でした。痛み、かゆみ、痺れ、寒気……、もうどこもかしこも何もかも、救いようがないの。しかも、脳が働かなくなっちゃって、オーバーに言えば錯乱状態かしらねえ。