大人になるとは親のせいにするのを止めることです。
もちろん、あなたの近くにいたいですが、私の肩を抱き、声を聴きたいですが、でもそれが難しい場合は、ただ愛しています。さあ、行きなさい。
自分のことを愛さないくせに、他人に「愛してるよ」などと口にする人間は信用しないこと。アフリカにはこんな諺があります:「裸の人間が、この服をどうぞ、と言ってきたときは注意せよ」
50歳で自分が誰か分かり始めました。自分を悟るような感じでした。
人生の壁にあたった時、わたしはその度に家に戻りました。赤ん坊と一緒に戻りました。母は一度も「ほら、言ったでしょ」と言いませんでした。「わたしの娘が帰ってきたわ!わたしの愛するマヤ、美味しいご飯をつくってあげるわ!」と、わたしが帰る度に母は言ってくれました。愛。母はわたしが人生を歩めるように解放してくれたのです。母は何度も、何度も解放してくれました。
「出来ない」は「気にしない」ようなもの。どちらにも家はありません。
本当に最後の詩。人によってはあの世に逝く許可が必要だと知っていました。わたしは彼女(母)に言いました。神が託したすべての事をこの世であなたは成し遂げました。働き者であり、愛もたくさん与えました。多くの男性に、そして女性にも。あなたは更に素晴らしい母でした。もし旅立つために許可が必要なのでしたら、あなたを解放します。
あなただけで十分です。誰にも何も証明する事はありません。
女性であることに感謝しています。他の人生(過去世)で、何か良いことをしたに違いありません。
わたしは愛を知り、今も愛されており、愛することが出来ることに感謝しています。なぜなら、愛は解放するからです。そう、解放するのです。保持するだけが愛ではありません。それはエゴです。愛は解放するのです。
恋はウィルスのようなものです。誰にでも、いつでも起こりえます。
愛は、解放するのです。拘束したりしません。中国にいたとしても、隣町に住んでいたとしても、愛しているのです。近くに住んでいたとしても、愛しているのです!
人生は純粋な冒険です。そのことに早く気がついた人ほど、人生を芸術のように大切にできるでしょう。
わたしも母を解放したいと言いました。彼女はそれを私から受け取る権利がありました。素晴らしい娘を持つことに値する女性だったので、素晴らしい娘となりました。
わたしは一瞬だけ自宅に戻ったのですが、何か強く呼びよさせるような気持になり、母の元へいくと、看護婦がいま旅だったと言いました。
勇気は最も大切な美徳です。もし勇気がなければ、人は他の美徳を堅実に実践することができません。
我々は、お互いを理解して、お互いの中に自分自身を見出すことを学べます。そして、人間は似ていない部分よりも似ている部分の方が多いということを認識することができます。
キャッチャーミットを両手にはめたまま生きるべきではない。投げ返すことも必要だから。
鳥は、答えが分かっているから鳴くのではない。歌うべき歌(伝えたいこと)があるから鳴くのである。
偉大な功績にはすべて時間がかかります。