世の中には「答えのない問い」と「答えのある問い」があります。「生きる意味」は「答えのない問い」です。「答えのない問い」は放っておく
私は悪いことなどしたくないのだと思っても、自分の心を信頼しない方がよいのではないかと思います。
幸福になりたいなら、自分の『幸福になりたい』という意志で、幸福になるように行動すればよいのです
理性のない人にどういわれようが、どう思われようが気にすることはない
本当の道徳というのは、社会と関わるものではなく、自分自身に関わるものです。
感情というのは、理性が壊れた状態のことをいいます。
体や心がトラブルを起こしても、あわてずにさっさと修理して、最善のコンディションを保つことができるのです。
妄想とは、とにかく概念を回転させることです。結論はありません。だから、ノンストップで流れるものです。
心は悪に喜びを感じます。それを変えなければ、道徳的な世界は作れません。
悪いことはしたくないと口では言うのですが、心の本音が悪いことをしたいと切望しているのです。
勇気がなければ、智慧がなければ、善いことを実行できません。
人間は、自分のことであっても、はっきり知りません
主観による思考がストップすると、妄想もストップします。すると、心は無色透明のきれいな状態になります
人生には「岸まで漕ぐぞ」という覚悟が必要です。
一切の現象は、変化しつつ消えるものです。
飢えている人にご飯をあげることはできますが、食べるという仕事は、その本人がしなくてはならないのです
水田もないのに稲はつくれません。友人をつくりたいのなら、まず自分の周囲にしっかりした人間関係をつくることです
批判されても気にすることはないのです。世間からすれば、あなたはどうでもいい存在ですから、無責任にいいたい放題なのです
自我の錯覚にしがみついている無知な人は、自分の殻の中にとじこもって、主観の生み出した概念に永遠にふりまわされてしまうのです
未来である「明日」から見れば、過去である「今日」は常に失敗です。人生は失敗の連続なのです。