終戦後の日本には何もなかったから、人々は多くのモノを求めて働いてきた。そして日本は、モノがあふれる社会になった。もういい加減、求めることはセーブしたほうがいい。
求めない。すると自分の時計が回り出す。
求めない。すると今持っているものがイキイキとしてくる。
「社会の自分」をまったくゼロにしてしまったら生きてはゆけない。要はバランスなんだよ。現代人は、ちょっとそちらへ”偏り過ぎ”ているから「はじめの自分(自然の自分)」を取り戻さなきゃいけないんだ。
求めない。すると求めなくっても平気だと知る。
求めない。するとそれでも案外生きてゆけると知る。
「死」というのは無駄に消えるんじゃない。また何かの形でいかされるんだと思う。その変化だけを受け入れればいい。
求めない。するとすべてが違って見えてくる(だって、さがさない眼になるからだ)求めない。すると前よりもひとや自然が美しく見えはじめる。ほんとうだよ、試してごらん。求めないものの美しさが見えてくるんだ!
求めない。するといま在る自分をそのまま見はじめる。
僕が「求めない」というのは求めないで済むことは求めないってことなんだ。すると体の中にある命が動きだす。それは喜びにつながっている。
あらゆる生物は求めている。命全体で求めている。一茎の草でもね。でも、花を咲かせたあとは静かに次の変化を待つ。そんな草花を少しは見習いたい。
求めないでいられるとき、ひとはいちばん自由なんだ。着るものも食べるものも住むところも充分にあったら、それ以上は求めないでいるとき、とても自由なんだ。
求めない。すると人の心が分かりはじめる だって、利害損得でない目で見るから。
誤解しないでほしい。求めないと言ったって、どうしても人間は求める存在なんだ。
いつも何かに閉じ込められている。それが社会で生きているということ。
動物園の檻に入れられた動物たちと同じようなものだ。社会のなかには様々な檻が存在している。そこにいる窮屈さから逃げ出そうと、もがいている人間もいるだろう。本当の生き場所に行こうとしてね。でもそれは無意味なことだ。なぜなら、今いる檻から抜け出しても、新たな檻が待ち受けている。
求めない。すると比べなくなる。
すべての欲望を捨て去ることなどできない。また、そこまでする必要もない。ただ、あまりに不必要なものに囲まれていると、自分とは何者なのかが見えにくくなってくる。
自分にとってほんとうに必要なものは何か。不必要なものまで求め過ぎていないか。
求めない。すると失望しない