西暦1900年代の偉人

【石坂 泰三】の名言集|名言まとめドットコム

(万国博協会会長に就任時のインタビューでの言葉)君、ボクは大丈夫だよ、いろいろな引き出しを持っているから。

(経団連会館建設のための国有地払い下げを巡って当時の大蔵大臣・水田三喜男の煮え切らない態度への発言)もう、きみなんかに頼まない

(浅沼稲次郎の暗殺事件に際して実行犯に対する、問題視された発言)暴力行為は決していいものではない。だがインテリジェンスのない右翼の青年がかねて安保闘争などで淺沼氏の行為を苦々しいと思っていて、あのような事件を起こした気持もわからないではない

(大阪万国博覧会の会長としての言葉)本来、政府の仕事ですぞ。百億でやれといわれれば百億のものを、一億でとあれば一億のものをつくる。こちらはそれだけのこと。それでいいんですか。

(日本万博協会会長としての心境)一体この博覧会の主体は誰だったのだろう。此の政府記録によれば総て政府当事者によってなされ、万博協会は殆ど何もしなかった様に見えると云っても過言ではないかも知れない。・・・私としては聊か、否、大いに不満である。・・・甚だ不満である事を率直に後々のため記録する次第である

経営は学問ではない。

(全東芝従業員に協力を求めた文書)この整備改革は決して容易なるわざではなく、従業員諸君一同の協力を得なければならぬことは当然である。整備は決して人員の整理のみを以って終わるものではない。生産、営業、管理、組織の改善や計画の徹底的合理化は勿論、終戦後とかく弛緩せる人心の緊張感等は夫れ以上に必要である。若し夫れ、従業員にしてその職責を全うし得ず、業務上の統率力を欠如するが如きあれば、直ちに粛清すべきである。従業員諸君、我々は伸びんとすれば先ず縮まることを要する。余は就任早々この再建に直面し多少なりとも犠牲者を出すことは甚々忍び得ざる処なるも、大局上このほかに途なきを確信する以上、諸君に於いても能くこの事態を認識し協力せられんことを切に希望する次第である

人生はマラソンなんだから、百メートルで一等をもらったってしょうがない。

高等学校での三年間は私の生涯を通じて最も印象的なものだった

外国人が40億、50億の株を取得しても大したことはない。制限を撤廃して堂々とやるべきだ

人にものを教えるということは、自分でも非常に勉強になるもので、学問のためにも、またその後のものの考え方の上にも大いに役立ったと思う。

(旧制府立一中(現・東京都立日比谷高校)を受験し合格した時の言葉)クソまじめに勉強した

(マッカーサーが社長室を気に入り「この部屋を使っていた人間に会いたい」という話を伝え聞いた時の言葉)いかねえよ。用があるなら、こっちへ来ればいい。

企業の経済性ということは、企業をして企業たらしめるものであり、経済性の追求は企業経営の不断の合理化を促進することにある

経済の基本はまず豊かになること。日本経済のポテンシャリティを信じ、拡大に全力を注ぐと同時に、経済秩序、道義、企業モラルの確立を図る。

ぼくは、仕事以外の無理は一切しない

わがままこそ老人の本領だ。老人が老人として他から期待されるところは、善意の、誠心誠意の、私利私欲を離れての、かつ深謀遠慮としてのわがままである

人生のコースには人それぞれのペースというものがある。自分のペースに合わせて、息切れず、疲れすぎをせず、ゆうゆうと歩を進めて、とにかくその行き着くところまで、立派に行き着けばよろしいのだ。

経営者のあり方などよく質問を受けるが、私に言わせれば経営に秘訣なしだ。よく勉強すること。これが経営者の任務。私は経営学を馬鹿にしているわけじゃありません。読んだことはないが、立派なことが書いてあるんでしょう。しかし、何か大変な秘訣が書いてあるだろうなんて思ったことは一度もない。そんなもの、もともとありっこないですよ

私は東芝に来るにあたって、自分の腹心というようなものは一人もつれて来なかった。単身乗り込んだわけである。それには理由がある。一人ならば出処進退が自由にできるが、人を連れて行った場合、その人を辞めさせて自分が残るわけにはいかないからだ

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