引用元:https://meigenkakugen.net/坂村真民/
今回は有名な「坂村 真民」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「坂村 真民」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
坂村 真民とは
坂村真民(さかむら しんみん、1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)。一遍の生き方に共感し、癒やしの詩人と言われる。
熊本県荒尾市出身。熊本県立玉名中学校を経て、神宮皇學館卒業。
愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、毎朝1時に起床し、近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課であった。詩は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。
参考:Wikipedia
坂村 真民の名言集
生も一度きり、死も一度きり、一度きりの人生だから、一年草のように、独自の花を咲かせよう
創造する人間は、絶えず危機の中に身を置いていなければいけない
人間いつかは終わりがくる。前進しながら終わるのだ
長く生きていることは無駄ではなかったとしみじみ思う年になった 見えなかったものや聞こえなかったものが 見えだし聞こえだしたのもありがたい喜びの一つだが 一番大きな喜びは色々の悲しみを知ったことだった
美しいものは美しい心でながめ 優しいものは優しい心で接し その日その日を送っていこう 過ぎてゆく月日を宝のように大事にして 一度きりの人生を全うしよう
花には散ったあとの悲しみはない ただ一途に咲いた悦びだけが残るのだ
道は数限りなくあれど、わが辿る道はただ一つのみ。花は数限りなくあれど、わが願う花はただ一つのみ。わが道をいかしたまえ、わが花を咲かしたまえ
冬がきたら うすら陽ざしのなかに咲く冬花のつつましさをじっと見つめてゆこう 冬花の持つ香気と清純さとをわが体のなかに浸透させよう
一に求道 二に求道 三に求道 四に求道 死ぬまで求道
サラリと流してゆかん 川のごとく サラリと忘れてゆかん 風のごとく サラリと生きてゆかん 雲のごとく
闇深ければ光もまた強し
一番恐ろしいのは自己との妥協だ。
尊いのは、頭ではなく、手ではなく、足の裏である。一生人に知られず、一生きたない処と接し、黙々として、その務めを果たしてゆく。しんみんよ、足の裏的な仕事をし、足の裏的な人間になれ。頭から光が出る。まだまだだめ。額から光が出る。まだまだいかん。足の裏から光が出る。そのような方こそ、本当に偉い人である
鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、何もそんなことばに耳を借す必要はない。せっせと磨くのだ。刀は光らないかもしれないが、磨く本人が変わってくる。つまり刀がすまぬすまぬと言いながら、磨く本人を光るものにしてくれるのだ
二度とない人生だから のぼる日 しずむ日 まるい月 かけてゆく月 四季それぞれの星星の光にふれて わがこころをあらいきよめてゆこう
流れてさえおれば、水は必ず海に達する。それと同じように、努力さえしておれば、所思は必ず遂げられる
二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう 貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう
日々の生活を人間らしく生きてゆくのも立派な修行である。そしてそれらはすべて喜びを持って行ってゆかねばならない。喜びなくして行うものは、どんな難行を果しても、よい実を結ぶことはできない
元気のいい時にできるだけ多く言葉をかけておこう 石たちに 草木たちに 鳥たちに 愛する人たちに
生きることの むずかしさ 生きることの ありがたさ 生きることの うつくしさ まかせきって 生きることのよろこびに 燃えよう