同じ比喩もそれを出発点とすれば誤りとなるし、それを到着点とすれば本当ともなる
時は過ぎていく。そして少しずつ、我々が口にしてきた嘘は真実になる。
昔の一日一日は、私たちの内部に納められている。ちょうど巨大な図書館には、どんな古い書物でもかならず一冊は納められているように。
我々の愛情が衰えるのは、相手が死んだためではなく、我々自身が死ぬからである。
相手の女の服従が一時のあいだ男の嫉妬を鎮めはするけれども、同時にその嫉妬をいっそう気むずかしいものにもする。
真の楽園とは失われた楽園である。
英知は受け売りでは身に付くものではない。自分自身で発見するものである。
無関心を装う手紙の危険なことは経験ずみだった。最初は偽装の手紙だったものが、しまいには本当になってしまうからだ。
不幸なときにこそ、人は道徳的になる。
美しさと、ふしだらと、エレガンスとであまねく知られているこの婦人。
よく病気をして長い日時を「方舟(はこぶね)」にこもって過ごすようになってから、ノアは何にもまさって世の中をよく観察できたに相違ないことがわかった。
あのころは恋に生きる人びとの快楽を知って、官能の好奇心を満足させていた。それだけですませられると思い、恋の苦しみを知ることになるとは思ってもみなかったのだ。
時間というものは、人々を変える。だが我々の心にある彼らのイメージを変えてしまうことはない。
彼は誠実さを愛していたけれども、それは自分の愛人の生活ぶりを逐一知らせてくれる女衒を愛するように愛していたのである。だから彼の誠実好きは損得を離れたものではなく、彼を向上させもしなかった。
我々を幸せにしてくれる人に感謝しようではないか。彼らは、我々の魂を開花させてくれる魅力的な庭師だ。
女が精神的にすぐれていることなど、ほとんど私の興味をひきはしなかった。
愛するということは不運である。お伽話の中の人々のように、魔法が解けるまでそれに対してどうすることもできないのだ。
人はある年齢に達すると、自尊心や小賢しさから、いちばん手に入れたいと思うものにはさして執着を持たない振りをしてみせる。
しばしば想像力の欠如が、人間を大きな苦悩から遠ざけることがある。
海を背景にして、まるで豊かな装飾の塊が多様で勝手気ままに増殖するかのように現れたのは、太陽に焼かれ潮風に吹かれて金色とバラ色に同時に染め上げられた処女たちの、美しく展開される隊列。