引用元:Birthday of Carl Gustaf Emil Mannerheim & Flag Day celebration of the Finnish Defence Forces
今回は有名な「マンネルヘイム」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「マンネルヘイム」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
マンネルヘイムとは
カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mnnerheim スウェーデン語: [ˈkɑːɭ ˈɡɵˈstav ˈeːmɪl ˈmanːɛrˈheɪm]、1867年6月4日 - 1951年1月27日)は、フィンランドの軍人、大統領。フィンランド内戦、冬戦争、継続戦争、ラップランド戦争を指揮した。
士官候補生としてロシア帝国陸軍に入隊し、日露戦争などで実績を積み将軍となった。第一次世界大戦中にフィンランドが独立すると、その後の混乱から起こったフィンランド内戦で、白衛軍の司令官として闘った。独立早期、フィンランドが君主制を目指した際には摂政として連合国に独立承認を求めた。その後、一時は公職を離れたが、第二次世界大戦突入前の情勢不安の中で先の実績を買われて国防委員長となり、軍の装備の更新などに力を入れた。その後のソ連との戦争である冬戦争、継続戦争においては最高指揮官となり、フィンランドの防衛を行った。継続戦争の戦況悪化とナチス・ドイツとの同盟の責任から大統領を辞したリスト・リュティを継いで、1944年から1946年にかけて第6代大統領となり、ラップランド戦争でナチス・ドイツと戦い、ソ連との難しい講和を成し遂げ、独立を保った。
2000年のフィンランド国内の調査においてフィンランドで最も偉大な人物として選ばれた。
参考:Wikipedia
マンネルヘイムの名言集
自国すら守れない民族を他国が助けてくれるはずがない。もし、助けてくれることがあるなら、何か別の野心を持っているだけのことである。従って、大国に頼り切ることは大国に逆らうのと同じくらい危険である。
(フィンランド大統領府前での就任演説での言葉)議長、温かいお言葉感謝申し上げます。誉れ高い議員の皆さんに国難の時に国家の長たる職務の二度目の許しをいただけたことに、私にのしかかる責任を重く感じています。大きな課題は我々の未来を守るために打ち勝たなければならない困難です。今、真っ先に私の心にあるのはもう5年の間戦っているフィンランド軍のことです。議会、政府の支援と我々を支える人々の満場一致によって、我々は独立と国家の存続の維持に成功すると私は望み、そう信じております。
(リスト・ヘイッキ・リュティ前大統領の戦争裁判での発言)前大統領の時代、我が国は非常に困難な情勢にあった。そのこと考慮してほしい。
実際、これほど我が軍の将兵が強く、ロシア兵がこんなに弱いとは思わなかった。
かつて我々は自らの手で独立を果たし、自由な未来を守ると誓った。自分たちの国を自らの手で守ることの出来ない国の主張など、他国は認めはしない。我々は自分たちの手で未来を守らなければならないのだ。
(最高司令官として国防軍に出した最初の命令文)大統領は1939年11月30日をもって私をフィンランド軍の最高司令官に任命した。勇敢なるフィンランドの兵士諸君!私がこの職に就いた今、我々の不倶戴天の敵が再びわが国を侵している。まずは自らの司令官を信頼せよ。諸君は私を知っているし私も諸君を知っている。また、階級を問わず皆がその本分の達成のためであれば死を厭わないことも知っている。この戦争は我々の独立の継続のため以外の何者でもない。我々は我々の家を、信念を、国を守るために戦うのだ。
(第一次ソ連ーフィンランド戦争「冬戦争」の時の言葉)戦闘能力を失ってからでは、ソ連の全面占領を受けるしかなくなる。
戦果に酔ってはいけない。前線は恐ろしい現実が迫っている。私はどんな条件でも即時講和を支持する。
我が軍の将兵の奮戦は、世界中の称賛を呼び起こしたが、3ヶ月半の戦いが終わった今も、我々は吹き荒れる嵐の中でひとりぼっちで立ち続けている。
(意見を求めてきたリュティ大統領へ語った言葉)我が軍は健在だ。講和の機会は軍が作ってみせる。貴方は毅然と無条件降伏を拒絶してほしい。
フィンランド湾の防備を無くすことは、ソ連を攻撃しようとする第三国がフィンランドを攻撃して来た場合、防戦する事が出来ない。かえってソ連の国益を損なう事になる。
(マンネルヘイムがツダノフに示した覚書)ソ連はフィンランド国民に対して、自由な政治体制の選択を保障する。その代わり、フィンランドはソ連と敵対する第三国がソ連の領土を攻撃する際に、フィンランドの国土を利用することを断固として拒否し、自国の防衛と両国の安全保障のため戦う。その際ソ連に対して軍事支援を要請する。
(五台山ー中国における仏教徒の四聖山の中でも最も聖なる山ーについて)仏教徒のローマ教皇、ダライラマの牢獄とはいわないが、現在のすみかだ。
(娘ソフィーへの手紙の言葉)歳と健康を考えれば私は最高司令官の重責など引き受けたくなかった。しかし私は政府と大統領の懇願に膝を折らねばならなかった。私は今4度目の戦争の中だ。
戦える力がまだ残されている今こそ、和平交渉を行わねばならない。軍が壊滅した後、何を交渉材料としてソ連と協定を結ぶのだ。残されるのは、完全な屈服だけだ。
強国に追従することは、強国に逆らうのと同じくらい危険である。
君の判断を信じよう。カレリア地峡の全部隊は、遅滞戦闘に移行。全軍の集結地点はイハンタラへ変更。
大統領、気をしっかり持ってほしい。無条件降伏を受け入れれば、未来永劫我が国民は塗炭の苦しみを味わうことになる。絶対に受け入れてはならない。
(無条件降伏を要求してきたソ連の対応について述べた言葉)我が国との戦闘を早期に終結させ、ドイツとの戦争に専念したいのだ。
(1908年7月の日記に記した言葉)中国当局はダライラマをしっかり監視しているようにみえる。