西暦1900年代の偉人

【エミール・ミハイ・シオラン】の名言集|名言まとめドットコム

私は知識人としての自分の位置付けを最もよく表現できる国籍というものを持たない

混沌はなんと快適な枕であろう。

もしおまえが、我とわが身を蝕むべく定められた人間なら、何をどうしようと、そのことを避けるすべはない。ごく些細なことが、深い心痛と等しい力で、おまえをその方向へ押しやるだろう。甘んじて、あらゆる時と所で、苦汁にまみれているが良い。おまえの宿命がそう望んでいる

たった一度でも理由なしに悲しくなったことがあれば、私たちは生涯、それと知らずに悲しかったのだ。

あらゆる人間が私を人間から切り離す。

出生以前には、世に存在しないという好運にもあずかることができた。今や私たちは存在しており、この存在の小部分、つまり不運の小部分こそが、消滅することを烈しく怖れるのである

一度崇め奉った相手を人は決して許すことができない。世にも繊細なあの讃美という鎖を断ち切ろうと待ち構えている。しかもそれが傲慢から出たことではなく己を取り戻したい、自由になりたい、自己自身でありたいという切望のためなのだ。この切望を、人は不正手段による他、満たす手段がない

苦しんだことのない者は存在ではない。せいぜいただの個物だ。

老いとは、要するに生きたことに対する懲罰にほかならぬ。

独創的な思想家は深く掘り下げるというより、襲いかかるものである。

社会とは番人のいない牢獄なのだ、ただしそこから逃げ出せば、破滅が待ち構えている。

死に取りつかれると、希望という逃げ道も理性の説く道理も何の役にも立たなくなる。無意味なだけに、かえって死への欲望をかきたてるばかりである。この欲望に打ち勝つ方法はただ一つ、死への欲望そのものをとことんまで生きぬくこと、その喜悦と苦悩を一身に浴び、回避行為を一切やらないことである

罵詈雑言、電報、墓碑銘。これが文章の手本だ。

私は呼吸する。れだけで、私を病院に閉じ込めるに足る口実になる。

私たちの屈従は、すべて、飢え死にするだけの決心ができないことから由来する。

確かに私は人間を嫌悪しているが同じような気安さで人間存在を嫌悪しているとは言い切れない。なぜかというと、この存在という語には、何はともあれある充実した、謎めいた、魅惑的なものがあり、その点、人間という観念とはまるで違っているからである

同情心があれば、私たちは「人の親」にはなれまい。「人の親」、私の知るもっともむごい言葉。

われわれが生きて行けるのは、ただわれわれの想像力と記憶力が貧弱だからにすぎない。

責任という問題は、出生以前に私たちが相談を受け、現在ただいまそうあるごとき人間になってよい、と同意したのでなければ、そもそも意味を持ちえないはずである

私は生を嫌っているのでも、死を希っているのでもない。ただ生まれなければよかったのにと思っているだけだ。

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