引用元:夢は月面着陸。熾烈な競争を12年間も繰り広げた、ソ連とアメリカの天才科学者――コロリョフ&フォン・ブラウン
今回は有名な「フォン ブラウン」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「フォン ブラウン」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
フォン ブラウンとは
ヴェルナー(ヴェルンヘル)[1]・マグヌス・マクシミリアン・フライヘル(男爵)・フォン・ブラウン(Wernher Magnus Maximilian Freiherr von Braun, 1912年3月23日 - 1977年6月16日)は、工学者であり、ロケット技術開発の最初期における最重要指導者のひとりである。第二次世界大戦後にドイツからアメリカ合衆国に移住し、研究活動を行った。旧ソ連のセルゲイ・コロリョフと共に米ソの宇宙開発競争の代名詞的な人物である。
参考:Wikipedia
フォン ブラウンの名言集
私は月まで届くようなロケットを作りたかった。あの時代のドイツでそのような大型ロケットを開発できるのは軍だけだった。私は宇宙へ人間を飛ばす目的の為ならば悪魔と手を握っても働き続けたと思う。
地球上を旅するのと同じ手軽さで、太陽系を旅行することができるようになる。
宇宙開発は、宇宙の広い未知の領域を探検するための、単なる手段以上のものをもたらす。この事を忘れないでほしい。宇宙開発は、この地球上の生活を豊かにすることのできるものであり、その未来への可能性には、限りがない。
さて、これが私の設計した4段式ロケット・シップの模型です。
有人宇宙飛行は…これまでのところ、果てしなく広がる宇宙を覗くための、ほんの小さな扉を開けてくれたに過ぎない。この覗き穴から宇宙の限りない謎を考察する時、その創造者に対する我々の信仰は強められる。
もし私たちが今、十分なサポートの下に組織的な宇宙開発を始めれば、現実的な有人ロケットを10年以内に開発しテストできると私は信じています。
ロケットは完璧に作動した。だが、間違った惑星に着地した
2つの大きな問題は重力と事務仕事だ。重力を打ち負かすことはできるが、事務仕事は時に圧倒的すぎる
僕は進歩の車輪を回すことに役立ちたいんだ。
夢にとって自由とは、花にとっての水のようなものだ。
オモチャのような液体燃料ロケットを、宇宙船を打ち上げられる本格的な機械にするために必要な莫大な金額について、私は何の幻影も抱いていなかった。私にとって陸軍の資金は、宇宙旅行に向けた大きな進歩のための唯一の希望だった。
つまり私を逮捕するということか?何かの誤解にちがいない!
ドイツは戦争に負ける。だが忘れてはいけない、世界で初めて宇宙に手が届いたのが私たちであったことを。私たちは宇宙旅行の夢を信じることを決してやめなかった。どの占領国も私たちの知識を欲しがるだろう。問題は、どの国に私たちの遺産を託すか、だ。
私たちはV-2を持っていた。彼らは持っていなかった。彼らがV-2について知りたいと思うのは当然だろう。
私たちは2年前にやれたんだ!どうか頼むからやらせてくれ!ロケットは倉庫で眠ってるんだ!マッケルロイさん、私たちは60日で人工衛星を打ち上げられる!あんたのゴーサインと60日さえあればいいんだ!!
ジェントルマン、今日の議論はとても面白かったし、我々は非常に良い仕事をした。地球軌道ランデブーは実現可能だ。だが、1960年代終わりまでに月着陸を成功させる可能性がもっとも高いのは月軌道ランデブーだ。これをセンターの方針にしたい。
一番大切な部品、『納税者』です。これがないと、ロケットは飛びません!
私はいま銀河系を脱出しようとしている、、10万光年、10億光年、、超新星(ノヴァ)・・
宇宙への飛行は生命の起源を探るためだ。宇宙は生命の故郷だ。生命の起源を知れば、ガンの治療も可能となる。
子どもの時の夢を生きているうちに実現できた人間が世界に何人いるだろう。私はもし明日この世を去っても最高の人生だと満足できるよ