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【遠藤 周作】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:遠藤周作の未発表小説発見 タイトルは「影に対して」 長崎・文学館書庫から

今回は有名な「遠藤 周作」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「遠藤 周作」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

遠藤 周作とは

遠藤 周作(えんどう しゅうさく、1923年〈大正12年〉3月27日 - 1996年〈平成8年〉9月29日)は、日本の小説家。

12歳の時カトリック教会で受洗。評論から小説に転じ、「第三の新人」に数えられた。その後『海と毒薬』でキリスト教作家としての地位を確立。日本の精神風土とキリスト教の相克をテーマに、神の観念や罪の意識、人種問題を扱って高い評価を受けた。ユーモア小説や「狐狸庵」シリーズなどの軽妙なエッセイでも人気があった。日本ペンクラブ会長。日本芸術院会員。文化功労者。文化勲章受章。映画『沈黙 -サイレンス-』の原作者。

参考:Wikipedia

遠藤 周作の名言集

人生が愉快で楽しいなら、人生には愛はいりません。人生が辛く、みにくいからこそ、人生を捨てずにこれを生きようとするのが人生への愛です。だから自殺は愛の欠如だと言えます。

魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。

私は、死というのは、この世界から新しい生命に入る通過儀礼だというふうに思っています。通過儀礼ですから、それは試練であり、そして恐怖があり、苦しみが伴うのだと思います

敵も味方も自分らが正しいと思えばこそ戦が起るのだ。

自分の一番愛しているもの、自分が一番うつくしいものを汚すことに悦びを感ずるものはいない。悦びがあったとしてもそれは倒錯的な悦びである

人間がもし孤独を楽しむ演技をしなければ、率直におのれの内面と向き合うならば、その心は必ず、ある存在を求めているのだ。愛に絶望した人間は愛を裏切らぬ存在を求め、自分の悲しみを理解してくれることに望みを失った者は、真の理解者を心のどこかで探しているのだ

人間はみんなが美しくて強い存在だとは限らないよ。生まれつき臆病な人もいる。弱い性格の人もいる。メソメソした心の持ち主もいる。けれどもね、そんな弱い、臆病な男が自分の弱さを背負いながら一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ。

人間の一生には一度はまたとない好機が来る

どうせ人生の本質は辛く人間は孤独なぐらい百も承知している。だからそれだけ余計に明るく楽しく振る舞おうという決心を私はこの十年間に持ち続け更にその気持を強くしている。

不幸や苦痛はそれがどんな種類であれ、人間に孤独感を同時に与えるものだ

自分が弱虫であり、その弱さは芯の芯まで自分に付きまとっているのだ、という事実を認めることから、他人を見、社会を見、文学を読み、人生を考えることができる

人生にはその昔、何気なく耳にしたり本で読んだ話が、突然、切実に蘇ってくることがあるものだ。

人生の出来事の意味はその死の日まで誰にもわからない

本で読むことと、それを生きることは別です

人間らしく生きるために七分は真面目人間、三分は不真面目人間で生活するのが「生きる智恵」と言うべきであろう

神はその人の信仰が魂の奥に根をおろすまで、陽にさらし雨をそそぎ、さまざまな人生過程をあたえられる

戦後の日本人はいつの間にか、働くことと利を得ることを一緒にして利を得るためにだけ働くようになった。利がすべての目的に変わった。利のためにほかのものを多少は犠牲にしていいという風潮が社会を支配した。

人間には神の定めた運命があって、その運命にいくら抗っても無意味だということもわかった

黄昏の砂漠は歩きづらいが、振り返ると波打ちぎわに自分の足跡が、自分だけの足跡が、一つ一つ残っている。アスファルトの道は歩きやすいが、そこに足跡など残りはしない。

運命なんて、努力次第で変えられるんですよ

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