引用元:名言格言.NET
今回は有名な「トマスアクィナス」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「トマスアクィナス」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
トマスアクィナスとは
トマス・アクィナス(羅.Thomas Aquinas、1225年頃 - 1274年3月7日)は、中性ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者。シチリア王国出身。ドミニコ会士。『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者である。カトリック教会と聖公会では聖人、カトリック教会の33人の教会博士のうちの1人。イタリア語表記ではトンマーゾ・ダクイーノ(Tommasod'Aquino)。
トマスの最大の業績は、キリスト教思想とアリストテレスを中心とした哲学を統合した総合的な体系を構築したことである。かつてはトマスは単なるアリストテレス主義者にすぎないという見方もあったが、最近の研究ではそのような見方は否定されている。
参考:Wikipedia
トマスアクィナスの名言集
哀れみのない正義は冷酷である。しかし、正義のない哀れみは解体の母である。
物質は肉体のため、肉体は霊魂のため、人間は神のために存す。
信者が信じなければならないことの中で、唯一の神が存在し給う現実こそ、第一に信じねばならないことである。
人の思考がどんな努力をしても、たった一匹のハエの本質させ語りきることはできない。
誰かを愛することは、その人に幸福になってもらいたいと願うことである。
この途上の生において愛徳の増大にはいかなる意味での限界も定めることはできない。
この地球上において、真の友情よりも大事なものなど何もありません。
哲学は、宗教の端女(=召使い)である
物体としての天体は物体としての人間の身体には作用するが、非物体としての人間精神や意志には直接作用することはない。
神とは全ての存在の原因であるがゆえに、神の実体は存在そのものである
神の本質を見るためには、見る能力の側からいうならば、何らかの類似性を必要とする。神の本質を、そのあるがままに表現するような何らかの被造の類似性によって神の本質を見るということは不可能である。
神を見る能力が被造知性に適合するのは、その本性によってではなく、知性を何らかの意味で、神の形の状態にする栄光の光によるということは、あきらかである。それゆえ、栄光の光をより多く分有する知性ほど、より完全に神を見るだろう。しかるに、より多く愛を有するほど、より多く栄光の光を分有するであろう。
各個のものが認識されるのは、そのものの類似性が認識者のうちに存在することによる。しかるにこのことは、2つの仕方でおこる。1つは、それ自体としてであり、それは認識能力が直接に認識されうるものの類似性によって形相づけられる場合である。この場合は、認識されうるものはそれ自体のして認識される。もう1つは、認識能力が認識されうるものに似た別のあるものの形象によって形相づけられる場合である。この場合は、ものはそれ自体において認識されるのではなくて、それの類似性において認識されるといわれる。
レギナルドゥス、私にはできない。私がこれまで書いたものはすべてわらくずのように見えるからだ。
〈節制〉という〈徳〉を身につけるからこそ得られる〈喜び〉がある
誰かを愛することは、その人に幸せになってもらいたいと願うこと。
恩寵は自然を完成させる
まとめ
今回は「トマスアクィナス」の名言・名セリフ集をご紹介しました。
お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。
「トマスアクィナス」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。
ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください。