西暦1500年代の偉人

【王 陽明】の名言集|名言まとめドットコム

人間性を回復する学問にいそしむ場合、あらゆる名声や利益、嗜好などについてはいずれもすっかり洗い落とすことができたとしても、それでもなお生に執着し死を恐れる意識がすこしでも残っていたら、それは不純な意識が融解しないままに完全な本体を覆っていることになる。人間にとって生に執着し死を恐れる意識は、もともと身体を持つ存在として生まれた当初からおびてきたものであるから、その意識を排除するのは容易ではない。もし、このことがはっきり理解でき、すっかり得心がいったならば、我々人間の完全な本体はそれでこそ自由自在に発現し、それでこそ「本性を発揮し天命のままになる」学問なのである。

聖人はいささかのかげりもなく良知を完全に発現しているから、自然と良知のはたらきが中断しないだけのことである。つまりはこれも学ぶということなのだよ。生まれながらにして理解する割合が多いので、「生まれながらに理解し、やすやすと実行する」(中庸)だけのことだよ

友というものは、欠点を指摘したりするよりは、むしろ助けたり励ましたりすることに重点を置くべきだ

意図して理解するということもなく、それでいてどんなものでも理解する。良知の本体とはもともとそうしたものである。たとえば太陽は、意図してある物を照らそうとしたことはついぞなかったが、おのずからどんなものでも照らしている。意図して照らすということはなく、どんなものでも照らすというのが太陽の本体である。

友に対するに、相手に学ぶようにつきあえば成長が得られるが、相手の上に立とうとするのは悪いことになるだけだ

人はまず食べたいと欲する心があって、その後に実際に食べてみるという行動を起こしてから味を知る。食べたいと欲する心は意思であり、行動のはじめである

古今の聖賢のあらゆる議論の端々に至るまで全て、思いに邪なし、の一言で要約できる。これ以上、何を言うことがあろう。これこそ、一を知って百に通じる功夫なのだ。

修行は一進一退するのが当然である。他人の非難や嘲笑、または栄誉に関わりなく私欲を取り除き、本来持っている善心に沿って生きる修行を怠らなければ、必ず実力を得るようになる

ただ静かに心を養おうとしても、事が起これば、心は外の力で圧倒される。人は常に実際に起こる物事の上で、自己を磨くべきだ。そうすることで心が確立する。

人生最大の病患は傲慢の一事に尽きる。子でありながら傲慢であると不孝をしでかし、臣でありながら傲慢であると不忠をしでかし、父でありながら傲慢であると不慈をしでかし、友でありながら傲慢であると不信をしでかす。

まとめ

今回は「王 陽明」の名言・名セリフ集をご紹介しました。

お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。

「王 陽明」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。

ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください。

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