何にも変わらないようにみえても自分自身はいつも新しくなっている
ともかく実践すること、とよく言うけど、実践してその意味がすぐ分かるというものではない。やはり理解するのには時間がかかる。仏教でいう「感得」とは、“感じて会得すること”だけど、自分なりに消化して、心の糧にすることなんじゃないかな
いま良いことをしても、その結果は今日すぐに来るかもしれないし、三代くらい後かもしれない。でも、それは早いか遅いかの違いで、いました行いの結果が必ずあらわれると思うと、前向きになれる。いま良いことをしていけば、未来は変わっていくかもしれない
90日間、ひたすらお経を唱えぐるぐる回る「常行三昧」が終わっても、その感覚が体に残り、寝ていて見える天井も壁に見える。習慣というのは人の感覚を狂わせる。人間のものの見方や心のありようは、いろんなものでどうにでも左右されるということを学んだんだ
ひたすら歩くのは、歩きながら座禅しているのと同じ「歩行禅」といわれるもの。歩く中で何かを思いついたり、智恵が生まれたりする。書物や人に教わったりして知識を学ぶことも大事だが、ある程度学んだところで実際に動くことで智恵が生まれてくるんだよ
行く道は精進にして忍びて終わり悔いなし
人生って、こっちが疲れたら全部「しんどい」ってことになってしまいがち。考えを辛いことの一点に集中しすぎちゃう。しんどいところは休ませておいて、違うところに精神を集中させてみる
仏さんは人生を見通している。仏さんは「道は開いてやるけれど、後は自分でもって考えなさい。」って言うんだな。簡単には人生の答えはくれない
(亡くなる3日前に)ただ、感謝だな……
地球上にはたくさんの人がいるけど、出会う人はその中のほんの一部
何が起きるかわからないのが世の中だから、慣れた道でも甘く見ないで、今日を真剣に歩かなかったら絶対に続かないんだよ
ありのままの自分としかっと向き合い続ける
(なぜ出家したのか)三十三歳で結婚したんだけれど、嫁さんが結婚二ヵ月で死んじゃったんだ
机の上で図面を見て計画を立てるのは大事だけれど、実際には、そのとおりにはいかないのが普通だよ。毎日が違う。自然というのはそういうものなんだ
すぐに分からなくていい。時間がかかってもいいから、自分が実践してみたことや体験したことの意味を、大切に考え続けてみる。「ああ、あれはそういうことなのかもしれない・・・」と思ったとき、自分のものになっているのに気づく
人からすごいと思われなくたっていいんだよ。坊さんは坊さんらしくする。いくらどんな行を何回やっても、何もつかむところがなかったら何の意味もないよな
幸せはすべて脳の中にある
これから大きなものをやろうと思ったときには本当に些細なことから根性を持ってこなしていかなかったらできないんだよ。
強い気持ちを持つには、人生を大局的に見ることだ。あらかじめ自分の生涯の路線を決めておく。そうすると、まわりの小さな利益とか細かな問題は放っておいてもいいんだから
大事なのは実践するということなんだよ