学校の成績が人間の一生を決めてしまうことなんてない.成績が悪くたってやりたいことはやれる!
人との出会いを大切に!
自分の子供にああしろ、こうしろと言ったことはない。彼らが何に興味を持っているか、そばで見ていればわかりますからね
私が今日あるのは,良き人々との出会いのおかげである.多くの人との触れあいを,大切にしてほしい.
時間をかければいいってもんじゃない。本当にやろうと思ったことは頭から離れない。ずっと考えている
親や先生がいくら「あなたが本当にやりたいことは何なの」と聞いても、本人がどんなに本を読んでも、そんなものは見つからない。いろんなことを試してみて、その中で実感を得て、自分の力で見つけていくしかない
学業成績は,教えられたことを理解する,いわば受動的認識である.社会は,自ら考え,解決法を模索するという能動的認識が大きくものをいう世界である.
この卵を持っていると,情報過多の世の中でも,おのずと情報の取捨選択ができる.そうすれば,情報に振り回されることなく,効率よく研究が進む.もし,運がよければ,卵が雛にかえるかも知れない.
大人はせいぜい、子供が新しいことに挑戦する練習をさせてやるくらいです。子供が助けを求めてきたら助ける。そうじゃない限り、放っておく。そういう態度も必要でしょう
絶対に、後追いの実験はしたくなかった。そして悩み、考え抜いて準備を進めたことが、大きな発見につながったと思っています
自分が何に向いているのか、何が好きなのか、見つけるのは優しくない。それでも何とか見つけ出さなければいけない。良くないのは、見つける努力をしないでフワフワ生きていること
人には向き不向きがある
理科離れが問題だと言うが、教える人自身が理科をおもしろいと思っていなければ、子供が興味を持つわけがない。これは他の科目でも同じです
逃げ出すのは僕の趣味に合わない
大事なのは、「自分はこれをやりたい」というものを見つけること。それが人生で一番大切なことです
カミオカンデの運転を再開した翌月、誰も予期していなかった大マゼラン星雲の超新星爆発のニュースが飛び込んできました。その観測がノーベル賞につながったわけです。「小柴は幸運だ」。よくそう言われます。確かにその通りなんですね。でも、たまに腹が立って、こう言い返すことがあります。「大爆発のニュートリノは、世界の60億人に同じように降り注いだんだ。問題は、それが見えるように準備していたかどうかじゃないか」と
人は他人から与えられた仕事で、困難に出会うと心が折れちゃう。しかし、これなら俺やれる、私やりたいわ、と感じた仕事であれば、どんな困難に出会ってもやめようという気にならないよ
大学院で天文学や数学、物理を研究している学生の多くが奨学金をもらっている。大学院で学ぶくらいだから、彼らは理科に大いに興味がある。こうした大学院生に、出身校に一年間戻って、先生として後輩を指導すれば奨学金の返済を減免するという制度にすれば、金をかけずに優秀な先生を教育現場に送ることができるでしょう
現在,私は,原因不明の病気と闘っている最中である.そこで痛切に感じるのは,現行の医療制度のなかではなかなか難しいのかも知れないが,医師にもっと個々の患者の痛みや悩みに配慮してほしいということである.患者の痛みや悩みは,皆違っている.患者の数だけ痛み・悩みがあることを忘れないでほしい.
「ゆとりをもって」とか「自由意思で」といったって、子供にはわからない。「ゆとり教育」なんて、教育学者が頭の中で考えただけの、馬鹿げたことだ