引用元:ILC通信 ウェブマガジン
今回は有名な「小柴 昌俊」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「小柴 昌俊」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
小柴 昌俊とは
小柴 昌俊(こしば まさとし、1926年9月19日 - 2020年11月12日)は、日本の物理学者、天文学者。勲等は勲一等。正三位。学位はDoctor of Philosophy(ロチェスター大学・1955年)、理学博士(東京大学・1967年)。東京大学特別栄誉教授・名誉教授、東海大学特別栄誉教授、杉並区立桃井第五小学校名誉校長、日本学術会議栄誉会員、日本学士院会員、文化功労者。
愛知県生まれの物理学者であり、ニュートリノ天文学を開拓した天文学者でもある。1987年、自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて太陽系外で発生したニュートリノの観測に成功した。この業績により、1989年に日本学士院賞を受賞し、2002年にはノーベル物理学賞を受賞した。
参考:Wikipedia
小柴 昌俊の名言集
私たちを取り巻く自然の姿は、究めれば究めるほど奥が深く、常に新たな発見と可能性の連続。その素晴らしさと醍醐味を、一人でも多くの日本の若者に体感させたい
研究者ならば、今は駄目でもいつかは実現してやるという研究の卵を、三つか四つ考え続けよ。
最近は子供に痛い思いをさせると言うことはあんまりしないようですね。やるといけないことだというように考えられているらしい
観測装置「カミオカンデ」を設置しようとしたとき、米国から驚愕のニュースが飛び込んできました。同じ方法の実験が準備されているという。しかも光電子増倍管は、カミオカンデを上回る5000個設置する予算を獲得している。「これでは負けるに決まっている。後追いの実験に国民の血税を使えない」。そう悩みました。物量では上回れない。そこでひらめいたのは、検出器の感度を強烈に高めることでした。5インチの光電子増倍管を一気に20インチにすると。
躾の問題ですが、2,3才の頃 物心つく頃に、これはやってはいけないことなんだと言う事を身体に覚えさせた方が良いんだろうという気がしますけどね。私の考え方が古臭いのかもしれないけれど
たまたま大学受験のとき、「小柴は物理ができない」というウワサを耳にして、一念発起(笑)。猛勉強の末、東大の物理学科へ進学しました
僕の生き方に一番影響を与えたのは、4歳のときに母が亡くなったことだと思います。「自分でなんとかしないと」という生き方をいつの間にか身につけたのでしょうね。
基礎科学の成果は人類共通の知的財産です
平成十四年,私は,素粒子ニュートリノの天体観測で「ノーベル物理学賞」を受賞した.このニュートリノを捉えたのは,実に,東大退官一カ月前であった.これをもって,人は,「運がいい」というが,私にとっては,賞のありがたみよりも,私の人生を支えてくれたすばらしい人々との出会いの方が「幸運」だったと思う.
「夢の卵」を常に三つか四つ、自分の中で温めておく。そしてチャンスが訪れた時にそれをつかむ準備をしておく
賞に自分の名前がつくのも嫌だった。それなのに、財団の理事会は私の名前を入れるのがいいという
私は、小児マヒで人生の目標を打ちくだかれたが、この病気に罹らなければ、今日の自分はなかったともいえる。
(世界で通用する研究者になるためには)自ら考えて解決策を模索する「能動的認識能力」こそが大きくものを言う
日本の教育費は世界一高い。だから地方に暮らす人は東京の大学に子供をやるより安いからと、アメリカの大学に行かせたりする。これは文明国として恥ずかしい
ドイツの良いところは、日本と違って高速道路の通行料もタダだが、何より高等教育がタダなこと。制度が変わって授業料を徴収するところも出てきたようだが、長い間大学も大学院もタダだった。それこそ文明国のあるべき姿です
やりたいことが上手くいかなかったら、できることから突破口を探すこと
指導者なんて、育てようと思って育つものじゃない
とかく,人間は目先の損得に気をとられがちだが,基礎科学の発展なくして,人類の未来はないといっても過言ではない.本来,このような地味な分野への支援は,景気に左右されずに,国が率先して行うべきである.今のままでは,日本の基礎科学は,衰退の一途をたどることにもなりかねないと,常々,危惧していた.
メモなんかしない。忘れたら忘れたで、それだけのこと。必要なことなら、また後で思いつく
何よりも家庭での教育がおかしくなっていることを痛切に感じます。子が親を殺したり、兄弟を殺したり、以前は考えられなかったようなことが起きている。責任を感じるべきなのは、親になっている世代です