西暦1900年代の偉人

【豊田 喜一郎】の名言集|名言まとめドットコム

技術者には一つの意地がある。やりかかったらそれを完成して見たいという意地である。

まず、技術的実力の養成と、経済的実力の養成をしてからその製作に取り掛からなければならないと考えていた。もちろん、自工法の成立など夢にも思っていなかったので、乗用車200台の製作に対して、1台あたりどれくらいの損失をして、それをどれくらい続けていけば国産車として認められるようになり、製作費相当の値段で買ってもらえるようになるかを考えていた。そして、果たしてそれだけの辛抱が出来るかどうかを考えた。その結果、その辛抱を成し遂げれば、国産車として成立しないこともないような気がした。

自動車以外の工業において、外国よりも安くて良い物を作れる能力を持っているわが国が、自動車の製造だけはどうしてもそれができないという理由はないと考え、過去数年間は技術の養成と会社の内容の充実に努めてきた。

技術者は実地が基本であらねばならぬ。その手が昼間はいつも油に汚れている技術者こそ、真に日本の工業の再建をなし得る人である。

すべての事業は、手を付け始めたならば一瀉千里に遂行する方がかえって経済的であると、振り返ることなく自動車の製造に突き進んでみたが、何分慣れない仕事である。乗用車の発表まで3年も費やしたことはお恥ずかしい次第である。

1日に10回、手を洗え

私たちはやがて自動織機をつくり、さらに紡機をつくります。紡機ができて軌道に乗ったら自動車をつくります。

僕に自動車を造らせてくれるのか。クルマ造りならどんな苦労もいとわぬ。いや、どうも本当とも思えぬほどありがたいことだ。

織機の誤差は、1000分台で足りるが、自動車となると、万分台に進む

幸い、自工法(自動車製造事業法のこと)ができて、ある程度の無謀な値段の競争は防がれた。

言った通りにやれ、それでできなくても文句はいわぬ。

(戦後まもなく、一面の焼け野原の中で抱いた思い)木や紙でつくった燃える家ではダメだ・・・人は誰でも皆、ある一定水準以上の住宅に住むべきだ

もちろん、人のやったものをそのまま輸入する必要もありますが、何と云っても、苦心してそこまでもって行った者には尚それをよりよく進歩させる力があります。人のものをそのまま受け継いだものには、楽をしてそれだけの知識を得ただけに、さらに進んで進歩させる力や迫力には欠けるものであります。日本の真の工業の独立をはからんとすれば、この迫力を養わなければなりません。

自分で手を汚す

当然儲かる事業を当然な方法でやってゆくよりも、だれも余りやらない、またやり難い事業をものにしてみる所に人生の面白みがあるもので、できなくて倒れたら、自分の力が足りないのだ。

汽車に乗るのに一分のことで乗り遅れたというが、一分どころか一秒だって遅れたら汽車には乗れない。かといって、駅に行くのが早すぎれば、汽車が来るまでぼんやりと待っていなければならず、時間の無駄である。つまり、私のいう『ジャスト・イン・タイム』とは、間に合うというだけの意味ではない。余分なものを間に合わせても仕方がないんだ

私はすかんぴんになってもやる。仲間になってくれ。

しかし、逆にこれ(自工法)ができたために、外国車も内地車(国産車)も以前より高くなるようでは申し訳がない。少なくとも自工法ができたために、国産車が発達し、需要がある人々が安い自動車を買えるようにならなければならない。こうした意味で、われわれ自動車製造業者には大きな責任がある。

一生懸命働けばわれわれも生活の安定ができましょう。こうした田園工場で愉快に働いて、その製品がお国のためになれば、われわわは満足であります

どうせやるなら、世人の一番難しいという、大衆乗用車を作ってみようという立場からやりたかったのです。

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