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【豊田 喜一郎】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:自動車&あいのりマニア!

今回は有名な「豊田 喜一郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「豊田 喜一郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

豊田 喜一郎とは

豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、1894年6月11日 - 1952年3月27日)は、日本の経営者、技術者、トヨタ自動車創業者。位階は従五位。勲等は勲四等。豊田佐吉の長男。

トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)社長(第2代)、社団法人自動車技術会会長(第2代)などを歴任した。
愛知県豊田市(挙母市)の発展に大きく貢献した実績から、豊田市役所の広場には銅像が立てられている。死去から49年後の2001年3月、豊田市の名誉市民となった。

2001年に創設された、日本自動車殿堂の殿堂者に選出され、2018年には、アメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たした。

参考:Wikipedia

豊田 喜一郎の名言集

今日の失敗は、工夫を続けてさえいれば、必ず明日の成功に結びつく。

一本のピンもその働きは国家につながる

やれるか、やれぬかではなくて、誰がやるかなんだよ。

機械は人間と一体になって完全になる

現場で考え、現場で研究せよ

エンジニアは一日にして出来るものではない。有無無象が集まって出来るものではない。数百人のエンジニアを保護し、生活の安定と研究の自由を与えることが必要であって、その経費も決して高いものではないと思う。

我々日本人の誰かが自動車工業を確立しなければ、日本 のあらゆる民族産業が育ちません。それは別にトヨタでなくともいい。けれども現状のままでは、カナダがフォードのノックダウン生産(部品を輸入し組立だけを国内で行 う)に占領されて自動車工業など芽もないように….日本も同じ道をたどります。引いては日本の工業が全部アメリカの隷属下に入り、日本は永久にアメリカの経済的植民地になってしまいます。

同じ物を千個作ると、たいがいの職工は手が慣れて間違いのない物を作るようになります。最初の数百個の中には良い物もできますが、手が定まるまではこれを捨てるくらいの覚悟は必要であります。

作ってやる、売ってやるではいけない。買ってもらう、作らしてもらっている、という気持ちでなくてはいけない。

臨時出勤と残業とを徹底的に取締まり、ベンベンダラダラと仕事せざること。

手が油まみれになっているか?

フォードがどんな方式を取っておろうと、トヨタはトヨタでやります。フォードよりすぐれた方式を打ち立てねば、フォードに勝てません。

誰もあまりやらないこと、やり難いことをものにしてみせることに人生の面白みがある。

必要な時に、必要なモノを、必要なだけ。

一旦トヨタから出した車は、何処が悪くても全責任を負わなければなりません。それを他の部分に罪を着せずに、自家製品の悪いところを言い逃れの出来ぬ様にさせると云う事は、自分自身の製品に自信をつける最も大事な事であります。

これだけの諸君が僕の自動車部員になる。道楽だから辞令は出んし、会社から居残り賃ももらえんが、僕と一緒に、一生懸命遊んでもらいたい。

「安くて良いものを作れば必ず売れる」という原則は少しも変わらないが、はじめから安くて良い物ができるはずはない。この難関をどのようにして突破するかが重要なのである。

(「自動車の製作は、どういう点が難しいですか」 という質問に対し)製作よりも材質です

できないという前に、まずやってみろ。

(工場視察に訪れた陸軍大臣の「将来自動車は幾らでも要るからドンドン作って貰いたい」という言葉への返答)現在私の工場でも幾らでも作りたいと思って居ますが、自動車を作る工作機械は大部分外国から輸入するものであって、自動車や飛行機等直接陸軍に必要なものに対しては、社会も政治家も保護奨励をされるけれども、自動車や飛行機を製作する根本のものは工作機械であるのに、その方面に力を入れられないと云う事は、日本の政治家が真に工業というものを理解されて居ないからではないでせうか ?

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