警察というところは、事実を集めるという点では、なかなか有能ですから。ただあいにく、集めたそれを有効に使いこなせるとは、必ずしも言いきれない。
想像力がなければ、怖いものはない。
シャーロック・ホームズというものだが、他人の知らないことを知るというのがぼくの商売なんでね。
ぼくはね、ワトスン。謙遜を美徳のひとつに数える一派に与しないんだ。
人生は大きな鎖のようなものであるから、その本質を知ろうとするには、鎖の一部分さえ知ればいいのである。
今回の事件では、これまでの出来事の結果がどうなるか、それはまだつかめていない。それは推理によってのみ到達できるものだからね。
厳密な論理家にとっては、あらゆる事象はすべてあるがままにとらえられるべきであって、自分を過小評価するというのは、自己の能力を誇大に評価するのとおなじく、真実から遠ざかるものにほかならない。
凡人は自分より優れた者の存在を知らない、しかし才能のある者は天才をすぐに見分ける。
五官に頼って解決をもとめる連中が、ことごとく行きづまったような難問でも、書斎にいるだけで解けることはあるんだ。
ぼくが言ったのは、彼が観察および推理にかけてはぼくよりすぐれている、ということさ。
私は仕事で疲れたという記憶はまったくない。しかし、何もしないでいると、くたくたに疲れきってしまう。
ぼくはプライドを傷つけられたよ、ワトスン。もちろん、けちな感情ではあるんだが、それでもプライドが傷ついたことはまちがいない。こうなれば、もはやぼく自身の問題だ。ほうっておくわけにはいかない。
いいかいワトスン、きみも医学者として、両親を観察することで子供の性向を診断するということは、たぶん日常的にやっているはずだ。なら、逆もまた真なり、とは思わないか?
一滴の水からも、大西洋やナイアガラの滝が存在し得ることを推定できる。
結構です。ですが、あなたを裁くのはぼくの役目ではありません。
ぼくにはたびたびそういう覚えがある──子供を観察することで、両親の性格をはじめて正しく認識することができた、という覚えがね。
情報を収集する前に思索をめぐらすのは重大な間違いである。
ぼくの友達といえば、きみしかいないよ。べつに客を呼んだりすることもないしね。
じつをいうとね、これは新たな証拠をつかむことよりも、むしろ、すでに知られている事実をいかに取捨し、選択していくか、その点にこそ推理という技術を生かすべきだという、そういう事件なんだ。
小さなことこそ大切だというのが、ずっと私の信条だ。