西暦1900年代の偉人

【江戸川 乱歩】の名言集|名言まとめドットコム

それまで書いた部分を読み返して見ると、われながら少しも面白く感じられないので、私の癖の熱病のような劣等感におそわれ、どうしても書きつづけられなくなってしまったのである

平凡社の全集の印税で、当分生活には困らないので、自己嫌悪にたえぬ小説など一刻も早くやめたいという我儘からであった。

昨年筆を断ちてより一年七ヶ月ぶりに、「新青年」十一月号より長篇「悪霊」を書きはじめたるも、翌九年一月号までに三回執筆せしのみにて中絶す

小説というものが、政治論文のように積極的に人生をよくするためにのみ書かれなければならないとしたら、彼は多分「現実」とともに「小説」をも厭わしいものに思ったに違いない。

大正十四年に専業作家になってから現在まで満三十一年余だが、そのうち十七年休筆していたのだから、正味十四年あまりしか働いていない勘定になる。書いているより休んでいる方が多かったのである

拙いと自信している小説など書くよりは、どんな不自由をしても、進んで月給取りに転業すべきであったのだろう。ところが、この月給取りが又、私は(良心的にいって)ひどく性に合わないのである。

四度目(の休筆)は戦時の情報局の方針で探偵小説が書けなくなり、終戦後も十年近く書かなかった。 三度目(の休筆)は昭和十年五月から八ヶ月。 二度目の休筆は、昭和七年の三月から一年八ヶ月。

愚作「一寸法師」に嫌悪を感じ、当分筆を絶つことを決意。

トランプがあるといいのに。こういうときの時間つぶしは、トランプ遊びに限るのよ

防空群長の方は、昼間は私のほかにやるものがないというので、 引き受けさせられてしまった。

昔の厭人病者が好人病者に変った

君も知っている通り、僕の興味はただ「真実」を知るという点にあるので、それ以上のことは、実はどうでもいいのだ

私は子供のころから、私は私なりの意味で、『異邦人』だと思っていた

自分ではつまらないと思っても、編集者がやいのやいのといってくれるあいだ、原稿稼ぎをしてやろう。売文業を大いにやろうと考えるに至ったのである

私が探偵小説の面白味を初めて味わったのは小学3年生のときであったと思う

各国の有識者にして、他の探偵小説は見向きもしないが、ドイルのホームズだけには愛着を感じている人が多い

運命の鬼めは、甘い獲物を与えて、人の心を試すのだ。そして、ちょっとでも心に隙があったなら、大きな真っ黒な口を開いて、ガブリと人を呑んでしまうのだ。おたふくの面のうしろ側には、怖い鬼の面が隠されているのだ。

この女自身の罪というよりは、そういう性格を作り上げた遺伝と環境を考えてやらねばなりません。

耳の底で血の流れる音さえ聞こえるほど、シーンと静まり返っていた。

殺すというのは愛することじゃないのかしら

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