人間の脳裏の追憶というものは、事実として記憶されるよりも、詩として記憶されるものかもしれない。
志を持って天下に働きかけようとするほどの者は、自分の死骸が溝っぷちに捨てられている情景をつねに覚悟せよ。勇気ある者は自分の首が無くなっている情景をつねに忘れるな。そうでなければ、男子の自由は得られん。
何事か成し遂げるのは、才能ではなく性格である。
諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家ではない。
私はどうも、日常人としては権力がきらいです。本当にきらいです。
古今、物事を革新する者は多くはその道の素人である。
自己の生死に関するような重大な運命の決定はごく軽い調子できめるのが、薩摩人の伝統的なダンディズムというものであった。
志を守り抜く工夫は、日常茶飯の自己規律にある。
ともかく若い間は、行動することだ。めったやたらと行動しているうちに、機会というものはつかめる。
第一流の人物というのは、少々、馬鹿にみえる。少々どころか、凡人の眼からみれば大馬鹿の間ぬけにみえるときがある。そのくせ、接する者になにか強い印象をのこす。
智恵よりも大事なのは覚悟や、と。覚悟さえすわれば、智恵は小智恵でもええ、浅智恵でもええ、あとはなんとかなるやろう。
物事に惚れるような体質でなければ世上万般のことは成りがたい。
五十年連れ添おうとも、ただの二夜であろうとも、 契りの深さにかわりはないとおもいたい。
議論などは、よほど重大なときでないかぎりしてはならぬ。もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉をうばうだけのことである。
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。
人の人生には、命題があるべきものだ。
相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。
世に絶望ということはない。
私は、歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。
男が自分の技量に自信をもったときの美しさというものは格別なものだが、自らの位階に自信をもった場合は、鼻持ちならなくなる。