引用元:きもの記念日@BLOGS
今回は有名な「司馬 遼太郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「司馬 遼太郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
司馬 遼太郎とは
司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
大阪府大阪市生まれ。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。自身の作品の中で最も好きな作品はと聞かれた際「空海と燃えよ剣」と語っている。
参考:Wikipedia
司馬 遼太郎の名言集
自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。自分にとって、図書館と古本屋さんさえあればそれで十分であった。
男というものは思慮きわまれば、常識、情勢をもって判断すべきではない。男たる者の道をもって判断すべきだ。
人の世に、道は一つということはない。道は百も千も万もある。
どうすれば戦わずして勝ちうるか、奇計異術では出来ない。誠をもって押してゆく以外にない。
人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。
いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
われわれは人間の集団を生物の次元で考えねばならない時代にきている。
人間にとって、その人生は作品である。
人間の威厳などたよりにならぬもので、生きて手足を動かしているという、ただそれだけのかぼそい条件で成立している。
一生というものは、美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている。
人間は決して、孤立して生きられるようには、作られていない。
目を瞑ったのは、覚悟をきめるためであった。
仕事というものは全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分は誰でも出来る。その二分を人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない。
勇気と決断と、行動力さえもちあわせておれば、あとのことは天に任せればよい。
人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。
人々にとって、志さえあれば、暗い箱の中でも世界を知ることができる。
人間の泣くこと笑うことは、いまもむかしも変わらない。
人間に本来、上下はない。
日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。
例えば、友達が転ぶ。「あぁ痛かったろうな」と感じる気持ちを、そのつど自分の中で作りあげていきさえすればよい。