如来威神の力を離れぬれば、十地の菩薩もその境界にあらず。いわんや生死の人をや
道理に迷って苦しむのも、自分の中にある仏に目覚めて正しく励むのも、みな自分の決心次第である。
貧を済ふに財を以てし、愚を導くに法を以てす、財を積まざるを以て心となし、法を惜しまざるを以て性となす、故に若しくは尊、若しくは卑、虚しく往きて実ちて帰り、近きより遠きより、光を尋ねて集会することを得たり
貧道と君とは遠く相知る。山河雲水何ぞ能く阻てん。白雲の人、天辺の吏、何れの日か念ふこと無からん
つまらない人は、善行と悪行の区別がつかず、その因果も信じることがない。目の前の利益だけを見ているので、その因果は必ず返ってくる。
仏法遥かに非ず。心中にして即ち近し
波濤万万にして、雲山幾千ぞ。来ること我が力に非ず、帰ること我が志に非ず
ものの道理を見る目が開いていれば、身の回りのもの全てが大事なものだと分かる。
風燭滅え易く、良辰遇い難し
遮那は中央に坐す、遮那は阿誰の号ぞ、本是我が心王なり
片手だけでは拍手できない。片足だけでは歩けない。右手と左手が感応して拍手になり、右足と左足が感応して歩く。だから相手が感応するまで祈り続けなさい
身は華と与に落ちぬれども、心は香と将に飛ぶ
人の短を道うこと無かれ,己の長を説くこと無かれ
迷悟(めいご)我にあれば、発心すればすなわち到る。明暗他にあらざれば、すなわち信修(しんしゅ)すればたちまちに証す
心を洗って香と為し、体を恭(つつし)んで華と為す
仏の教えは一言で言えば、自分の利益と他人の利益を一致させることである
ものに決まった性質などない。悪人もいつまでも悪人ではない
善行をなそうとする人も、悪行をなそうとする人も、まず心の中でそれをなそうと決めてから、その行動をするものである
優れた大工が木材を使うとき、真っすぐな木は曲げずに、真っすぐな特徴をいかしてその木が必要な場所に使う。曲がった木は、無理に伸ばさずに、そのままその特徴をいかしてその木が必要な場所に使って大きな家を建てる
虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願も尽きん