引用元:本田宗一郎。
今回は有名な「本田宗一郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「本田宗一郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
本田宗一郎とは
本田 宗一郎(ほんだ そういちろう、1906年(明治39年)11月17日 - 1991年(平成3年)8月5日)は、日本の実業家、技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者。位階は正三位。
1937年(昭和12年)自動車修理工場事業を順調に拡大、「東海精機重工業株式会社」(現・東海精機株式会社)の社長に就任。1946年(昭和21年)10月、浜松市に本田技術研究所 (旧) 設立。39歳の宗一郎は所長に就任。のちにホンダの副社長となる藤沢武夫と出会い、ともにホンダを世界的な大企業に育て上げる。1989年(平成元年)アジア人初のアメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たす。
参考:Wikipedia
本田宗一郎の名言集
思想さえしっかりしていれば技術開発そのものはそう難しいものではない。技術はあくまでも末端のことであり、思想こそが技術を生む母体だ。
かけがえのない「若さ」も、それを自覚していなければ「豚に真珠」「猫に小判」で、あってなきに等しい。
能ある鷹は爪を磨け
私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。それが哲学だ。
こちらが悪ければ、悪い人間が寄ってくる。こちらが信用することによって、信用される人間が生まれる。
人生でも、企業でも、一度貧乏とか不況とかを立派にくぐり抜いてきたものなら、そいつはどこまでも信用できる。
自分の力の足りなさを自覚し、知恵や力を貸してくれる他人の存在を知るのもいい経験である。
チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。
私の現在が成功というなら、私の過去はみんな失敗が土台作りをしていることにある。仕事は全部失敗の連続である。
失敗が人間を成長させると、私は考えている。失敗のない人なんて、本当に気の毒に思う。
嫌いなことを無理してやったって、仕方がないだろう。
長というのは組織上の役割を示すためのものであって、決してその人物の偉さを表すものではない。
伸びる時には必ず抵抗がある。
少しでも興味を持ったこと、やってみたいと思ったことは、結果はともあれ手をつけてみよう。幸福の芽は、そこから芽生え始める。
新しい発想を得ようと思うならまず誰かに話を聞け。
新しいことをやれば、必ず、しくじる。腹が立つ。だから、寝る時間、食う時間を削って、何度も何度もやる。
とかく他人に厳しく自分自身に寛大なのは凡人の常だ。
友情は、人間感情の中で最も洗練された、そして純粋な美しいものの一つだと思う。友情を交わす友人のいることは、その人の人生にとって非常に大きなプラスである。
進歩とは反省の厳しさに正比例する。
我々は勝負師ではない。負けても何が原因で負けたのかを、追求することに意義がある。