チェ・ゲバラは20世紀で最も完璧な人間だ。
生きることと書くことを、作家は一つにすべきだ。
あなたは、あなたの一生以外の何ものでもない。
過ぎ去る時間とは失われた時間であり、怠惰と無気力の時間であり、
いくたびも誓いを立てても守らない時間であり、しばしば引越しをし、絶えず金の工面に奔走する時間である。
我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である。
3時という時刻は、いつも、何かをするには、遅すぎる時刻であり何かをするには、早すぎる時刻である。
私は暴力に対して一つの武器しか持っていなかった。それは暴力だ。
自由であること、それは望み通りのことが出来ることではない。出来ることをやりたいと望むことである。
人間が死ぬのは、いつも早すぎるか、遅すぎるかのどちらかである。
すべての物は必要のないものである。この庭も、この都会も、そして私自身も。
突然それに気づいたときムカムカし、すべてが漂いはじめる…それが嘔吐である。
実存が本質に先立つとは、この場合、何を意味するのか。それは、人間はまずさきに実存し、
世界内で出会われ、世界・内・存在に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということを意味する。
実存するとは脱自的、超越的なありかたで、自己がいまだあらぬところであるように、
また自己が現にあるところのものであらぬように、自己を成らせていくことである。
人は自分があろうとする姿以外にはありえない。このことが実存主義の第一原則である。
日記は自分の内部に起こりつつある事を、はっきり当人に知らせてくれる。
人間存在は、何よりもまず、まったくの無なのだ。
人間は自由であり、つねに自分自身の選択によって行動すべきものである。
金持ちが戦争を起こし、貧乏人が死ぬ。
一人ひとりの人間が究極の絶対的な自由を持っている。
授業中、一生懸命聞いているように見える学生は、必ずしも内容を理解していない。
なぜならば、彼らのエネルギーは「聞いている」というポーズをつくることに集中されてしまうからである
不幸にして私は、自分の顔を見たことがない。私はそれを気安げに、私の前にぶら下げているのである。
私が私の顔を知るのは、むしろ反対に他人の顔によってである。