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【黒田孝高】の名言集|名言まとめドットコム

神の罰より主君の罰おそるべし。主君の罰より臣下の罰おそるべし

人間には必ず相口(あいくち)、不相口というのがある。

相口というのは、他人の心をよく知ってそれに合わせる事だ。不相口というのは、逆らって異見を言う者をいう

その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。

目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い。

お前たち家来の間にも、気が合うか気が合わないかによって、仕置をする上に過ちができることがあろう。

気の合う者に対して贔屓して、悪いことも善く思い、あるいは悪いと知りながら、自然とそれに親しむようになるものである。

気の合わない者に対しては、善人をも悪人と思い、道理をも無理のように思い誤ることがある。

気が合う家来、会わない家来とでは、仕置の上にもこのような私心ができてくるものであるから、みな、よく注意せねばならぬ

蒸気となり雲となり雨となり雪と変じヒョウと化し凝っては玲瓏たる鏡となりたえるも其性を失わざるは水なり

分別過ぐれば、大事の合戦は成し難し

まず自分の行状を正しくし、理非賞罰をはっきりさせていれば、叱ったり脅したりしなくても、自然に威は備わるものだ

低い身分から次第に立身出世し、高い身分になった場合でさえ、無道であれば、その時々の勢いにまかせて、

身分の低い時代の難儀や不自由を忘れ、先々困窮することを考えないのである

子供の教育係にする侍に対しては、まず主人がそれを心を込めてもてなし、位のつくようにしてやらねばならない。

そうでなければ、その子供が教育係を安っぽくあしらって、それを侮る心が出てきて、ついには教育係をないがしろにして、

その忠告を聞き入れず、したがって、振る舞いも改まらないことになるから、大事な問題である

乱世に文を捨てる人は、軍の道理を悟らないから、制法が定まらず、国家の仕置に私心が多く、家人や国民を愛する術がないから、

人の恨みが多い。血気の勇だけで、仁義の道がないから、士卒に敬慕の念が欠け、忠義の志が薄くなるから、

たとえいったん軍に勝つことがあっても、後には必ず亡びるものである

人には気が合う気が合わないということがある。主人が家来を使う場合には、とくにありがちなことだ。

気の合う家来が、もし善人であったならば、国の重宝となるが、悪人であったとすれば、

国家の妨げとなるのであるから、大変な違いである。家来たちの中に、たとえ自分と気が合わない者がいて、

それを傍ら近く召し使い、軽い用事を勤めさせることがあっても、その者に心を奪われてはならない

気の合う家来に対し、ともすれば悪いことを見のがすこともあるだろうから、よく注意して、そうした点を発見し、

自分に対して諫言もさせるとともに、また、その者がいい気になって行儀の悪かったときには、傍らに呼びつけて意見をすべきだ。

それでも聞かない時には、この如水に言いつけよ。よく詮議した上で罪科に処すだろう

大将たる者は、威(威厳)というものがなければ万人を押さえつけることはできない。

こしらえごとでいかにも威を身につけたように振舞ってみても、それはかえって大きな害になる

腹を切って死んだとしても、わしに従って地獄・極楽を駆け巡るわけではあるまい。

わしはただ立派な士を一人でも多く、大切に思う子に譲りたいのだ。必ず殉死を禁ぜよ

子供の教育係をさせる侍は、その人柄をよく選ばねばならない。

世の中で主のために追腹を切る(後を追って切腹すること)ぐらいつまらぬことはない

将たる者が武を忘れたならば、軍法がすたり、家中の侍たちも自然と心が柔弱となり、武道の嗜みなく、武芸も怠り、武具も不足し、

塵に埋もれ、弓槍の柄(え)は虫の住みかとなり、鉄砲は錆び腐って、役に立たなくなる。

軍法も定まっていないから、もし兵乱が起こった場合には、どうしたならばよかろうと、驚き騒ぎ、

喉がかわいてから井戸を掘るようなことになろう。武将の家に生まれたからには、しばらくも武の道を忘れてはならぬ

武将の家に生まれたからにはしばらくも武の道を忘れてはならぬ

我が君主は天にあり

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