額に汗して営々と働かなければ、健康な肉体はあり得ない。また健康な思想も頭脳に沸き得ない。
人間の真価は分数のようなものだ。分母は自己の評価、分子は他人による評価である。分母が大きくなるほど、結局、真価は小さくなる。
人生の唯一の意義は、人のために生きることである。
人々が夢中になって騒ぐもの、それを手に入れるために躍起になって奔走するもの、そうしたものは彼らになんの幸福ももたらさない。
誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない。
別の人間に仕立てようというような不可能なことを、相手に要求してはならない。
一生涯ひとりの異性を愛することは、一本の蝋燭が生涯燃えることと同じである。
この世における使命をまっとうせんがために、我々の仕事を明日に繰り延べることなく、
あらゆる瞬間において、自己の全力を傾注して生きなければならない。
もし善が原因をもっていたとしたら、それはもう善ではない。もしそれが結果を持てば、やはり善とは言えない。
だから、善は因果の連鎖の枠外にあるのだ。
よい人間とは、自分の罪をいつまでも忘れないで、自分の善行はすぐに忘れる者のことである。
わるい人間とは、その反対に、自分の善行をいつまでも忘れないで、自分の罪はすぐに忘れる者のことである。
自分を許すな。そうすれば、容易に他人を許すことができよう。
愛には三種類ある。美しい愛、献身的な愛、活動的な愛。
一旦やろうと思い立ったことは気乗りがしないとか気晴らしがしたいなどという口実で延期するな。
直ちに、たとい見せかけなりとも、とりかかるべし。いい知恵は浮かぶものなり。
我々が知りうる唯一のことは、我々は何も知らないということである。そしてこれが人間の知恵が飛翔しうる最高の高みなのだ。
餓死する者はめったにいない。うまいものを食べすぎ、そして働かないために病死する人のほうがはるかに多い。
幸福になりたいと思い、幸福になろうと努力を重ねること、これが幸福への一番の近道である。
子羊を食らう前に泣く狼と、泣かない狼では、どちらがより酷いだろうか。
自ら精神的に成長し、人々の成長にも協力せよ。それが人生を生きることである。
嫉妬とは、愛の保証への要求である。
小さな変化が起こるとき、本当の人生が送られます。
深く愛することのできる者のみが、また大きな苦痛をも味わうことができるのだ。