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【エルネスト・ゲバラ】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:Brisa Cubana

今回は有名な「エルネスト・ゲバラ」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「エルネスト・ゲバラ」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

エルネスト・ゲバラとは

エルネスト・ゲバラ(Ernesto Guevara、1928年6月14日 - 1967年10月9日)は、アルゼンチン生まれの政治家、革命家で、キューバのゲリラ指導者。

1965年1月、各国との通商交渉のために外遊を行う。2月27日に独立の過程によりキューバの盟友だったアルジェリアのアルジェで行われた「第二回アジア・アフリカ経済会議」において、ベン・ベラ大統領と共に起草した演説を行い、当時、キューバの最も主要な貿易相手国だったソビエト連邦の外交姿勢を「帝国主義的搾取の共犯者」と非難し、論争を巻き起こした。3月に帰国後、キューバ政府は「ゲバラをキューバ首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」旨の通告をソ連から受ける[要出典]。これを受けて[要出典]カストロにキューバの政治の一線から退くことを伝え、カストロ、父母、子供たちの三者に宛てた手紙を残してキューバを離れた。このことはしばらくカストロの側近以外には知らされず、半年後の10月3日のキューバ共産党大会においてカストロが手紙を読み上げたことで、初めて世人に知られることとなった。

参考:Wikipedia

エルネスト・ゲバラの名言集

私を殺しに来たのだろう。撃て、臆病者め。お前の目の前にいるのはただの男だ

国民の英雄たるもの、国民から遠くはなれていてはいけない。高い台座に上って、国民の生活と無縁なところにおさまるべきでない。

列強諸国の生活水準は、極度の貧困の上に成り立っている

我々は非常に苦しい時代にあって、国を導く責任を負ってきた。もちろん、その影響は大きい。

しかし、我々が退くべきときに退かなければ、仕事は完成したとはいえないのだ。我々の後を継ぐ国民を作ることが、君たちの義務でもある

ただ一人の人間の命は、この地球上で一番豊かな人間の全財産よりも100万倍も価値がある。

先のこと?正直いって、自分の骨をどこに埋めることになるかもわからない

私のことを冒険家というのなら、たしかにそうだ。しかし、私は違うタイプの冒険家だ。

自分の真理を証明するためなら、命も賭ける冒険家だ

私たちは、身体中ヒロイズムにあふれていたが、頂上にたどりつけなかった。訓練で死ぬ覚悟はできていた

国民の意思を重視するシステムにしたがい、国民の幸福に貢献することだけを唯一の行動規範とするならば、国を支配するのは簡単だ

戦場にもってきた思い出のよすがは、二つだけ。一つは妻からの包帯、もう一つは母からもらった石のついたキーホルダーだ

私は39歳になった。ゲリラ戦士としての自分の将来について考えなければならない年齢に、容赦なく近づいている

人が革命家になるのは決して容易ではないが、必ずしも不可能ではない。

しかし革命家であり続けることは、歴史上に革命家として現われながらも暴君として消えていった多くの例に徴するまでもなく、

きわめて困難なことであり、さらにいえば革命家として純粋に死ぬことは、よりいっそう困難なことである。

酒は飲まない。タバコを吸う。女を好きにならない位なら、男を辞める。

だからと言って、あるいはどんな理由であっても、革命家としての任務を全う出来ないのなら、僕は革命家を辞める。

これからは良い事をされたら100倍にして返せ!その代わり嫌な事をされたら100分の1にして返せ。

バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。愛の無い真の革命家を想像することは、不可能だ。

人間はダイヤモンドだ。ダイヤモンドを磨くことができるのはダイヤモンドしかない。

人間を磨くにも人間とコミュニケーションをとるしかないんだよ。

フィナーレだ。比類なき大音声とともにフィナーレが次々に展開していく。十万人もの人々の歓声がとどろく。

彼らの歌は奥深い。フィナーレをききながら、勇気が湧きおこる音がきみにも感じられるだろう

もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、

できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう「その通りだ」と.。

『開発途上』とは何か?歪められた異常な開発の産物である。それが我々だ。我々は丁寧に『開発途上』と表現されているのである。

実際は、我々は経済制度を帝国主義によって変形させられた、植民地あるいは反植民地、あるいは従属国の住民である。

我々には誰だって、ちょっとした虚栄心が隠れているものだ。当時私は、世界で一番プライドの高い男だと思っていた

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