自信を持って恐れることなく、私たちは努力を続けなければならない。人類絶滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって。
我々すべてが等しい才能を持っているわけではない。しかし、我々すべては才能を伸ばす等しい機会を持つべきだ。
何といっても、我々の最も基本的なつながりは、誰もがこの小さな惑星に住んでいるということにあるのです。
誰もが同じ空気を吸っているのです。誰もが子供たちの未来を慈しんでいるのです。
人は死に、国は興亡するかもしれない。しかし思想は生き続ける。
平和的革命を失敗させる人物は、暴力的革命を不可避のものにする。
我々が未来に信頼を持つには、まず我々自身を信頼することである。
我々は言葉だけでなく、行為でそれを示さなくてはならない。
清らかな良心のみを我々の確かな褒賞とし、歴史に我々の行動の最終的な審判をゆだね、
我々の愛する国土を導くべく前進しようではないか。
我々は真に勇気ある人間であったか?すなわち「敵に対抗する」勇気のほかに、
必要な場合には「自己の仲間に対しても抵抗する」だけの勇気を持っていたか。
「私利私欲に抵抗する」勇気だけでなく、「多数の圧迫に抵抗する」勇気を持っていたか!
われわれは時間を道具のように使わねばいけない。すがりつく松葉杖としてではなく。
勝ち戦には100人もの将軍が名乗り出るが、負け戦は一人で責任を負うのみだ
その道が千里またはそれ以上であったとしても、この国土の、この時代の我々が、
その第一歩を踏み出したことを歴史に記録させようではないか
誰かが僕を撃つつもりなら、今日やるべきだ
今、我々に必要なのは何か。それは満足感ではない。勇気だ!
互いに相違点があることは認めよう。たとえ今すぐ相違点を克服できないにしても、
少なくとも多様性を認められるような世界を作る努力はできるはずだ
どのような平和を私は言っているのか?どのような平和を我々は探求しているのか?
私が言っているのは本物の平和である。それは人生が生きるに値すると思わせる平和であり、
すべての人々や国々を発展させ、夢を抱かせ、子供たちのためにより良き生活を打ち立て得る平和である。
それはアメリカ人だけのための平和ではなく全人類のための平和であり、我々の時代だけの平和ではなく全ての時代の平和である
事実をありのまま率直に語ることは、未来に絶望することでも過去を告発することでもない
我々は、望みに向かって進む時、恐れに行く手をふさがせてはならない
平和は憲章や盟約だけに根ざすものではない。それは人々の心情の中に根ざすものである
私は大統領になる時に若すぎると言われた。君は野球をするには年を取りすぎだと言われた。
しかし今、どちらも全く的外れであることがわかった